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シンポジウム「東南アジアのショートフィルムの現状と展望」 パネリスト全発言書き起こし
概要:
6月19日(日)13:30-15:10 シダックス カルチャーホールで行われた「東南アジアのショートフィルムの現状と展望」シンポジウムのイベント書き起こしを配信いたします。東南アジアでも日本や諸外国と同様にデジタルビデオカメラや映像制作ソフトの普及で映像制作は身近なものとなり、作品は近年益々増加しています。そんな東南アジアにおける、ショートフィルムの映画産業全体における位置づけ、制作方法、若手育成への取組みなどを各国の短編映画業界を代表するパネリストが議論しました。
パネリスト:
Lamin Oo ラミン・ウー / ドキュメンタリー映画監督・プロデューサー (ミャンマー)
Phuong Hoang Nguyen フォン・ホァン・グェン/映画人材開発センター(TPD) 代表 (ベトナム)
Tan Chui Mui タン・チュイ・ムイ / 映画監督、ダフアン・ピクチャーズ共同創立者、ネクスト・ニュー・ウェーブ創立者 (マレーシア)
Salaithip Jarupoom サライティップ・タルプーム / チュラーロンコーン大学映画学教員 (タイ)
Part1
映画産業全体からみた、東南アジア各国におけるショートフィルムの位置づけについて
書き起こしpart2はこちら~各国におけるショートフィルム制作の状況 & 日本とマレーシアの共同制作事例の紹介
書き起こしpart3はこちら~各国での若手映像作家の育成状況
書き起こしPart4はこちら~未来に向けた共通課題とその解決
サライティップ・タルプーム氏(タイ):
近年 タイで制作される長編映画の数は年間平均60本です。一方、上映される海外の映画は200本です。つまりタイの作品数は全体の25~35パーセントです。タイで制作される長編映画が占める割合はかなり少なめです。海外作品の収益と比べても明らかでしょう。このことからタイの映画産業は成長市場ではなく停滞した市場だと言えるでしょう。
この状況は大きな問題です。第1にタイ政府は映画産業を支援するための具体的な政策を持っていません。そのため映画制作はハイリスクなビジネスです。第2に活動しているスタジオは5ヵ所しか存在せず映画制作からは安定した収入を得られません。第3に映画の公開や配信は2社に独占されています。つまり上映するには交渉力が必要になり、高い収益が見込まれる作品が優遇されます。上映数も減少しつつあります。そのため マイナーな作品は制作会社の大小を問わず市場機会を得ることが難しい状態です。
一方 ショートフィルムに関してはわずかな望みがあります。タイにおけるショートフィルムは変わった位置づけです。2つのグループによって作品数は毎年増えています。1つ目のグループは学生です。大学で映画を学んでいる人々で年齢は18~22歳になります。彼らは若いためほとんどの作品のテーマは人間関係を描いた青春モノです。家族愛や恋愛友情などがテーマです。2つ目のグループは成人で映画を学んできた人や制作会社で働いている人などです。中には映画制作を学んだことがなく純粋な興味で映画を作る人もいます。当然 2つ目のグループの方が成熟しています。そのため視点や表現するテーマも多彩で政治や現代の問題に切り込んだものもあります。1つ目のグループより変化に富んでいますね。つまり表現手法の上ではショートフィルムの方がよりスタイリッシュなことは明らかです。政治や現代問題 人間関係などをクリエイティブに表現できます。この傾向は東南アジアの他の国と同じではないでしょうか。ベトナムの現状と似ていませんか?
フォン・ホァン・グエン氏(ベトナム):
ベトナムのショートフィルムはまた違いますね。2003年以前のショートフィルムの制作数は皆無です。高校の授業の教材としてしかショートフィルムは存在しませんでした。ショートフィルムの映画祭もありませんでした。しかし2003年以降ベトナムの映画事情が激変する2つの出来事がありました。1つ目はベトナムでのインターネットの普及です。オンラインに映画のフォーラムが生まれました。YxineFFやMoviesboom、Movie Fan Clubなどです。これらのフォーラムが受け皿となり新世代の批評家や監督などが生まれました。もちろん新世代の観客もです。2つ目の出来事はTPDセンターの設立です。“10 months 10 short films”という名のプロジェクトでショートフィルム10作品を10ヵ月で制作しました。このプロジェクトはテレビ業界の革命となったわけではありません。しかし新世代の映画人の育成や収益の面で見事に使命を果たしました。
タン・チュイ・ムイ氏(マレーシア):
マレーシアで注目すべき動向の1つがYouTubeです。YouTubeが生まれる前はテレビと映画のみでした。2000年以前のショートフィルムはテレビの広告や政府のプロパガンダ用でした。または学校教材などです。有名なテレビ広告用のショートフィルムにヤスミン氏作のものがあります。アフマド氏は亡くなりましたが彼女が確立したジャンルは今も残っています。マレーシアではメジャーな手法の1つですね。
2000年以前は海外で映画制作を学んだ人が海外作品を持ち込みました。国内で映画制作を学んだ人の作品も多少ありましたが学校そのものがあまり存在しませんでした。2000年というのはとても重要な時期だと思います。DVDやノンリニア編集などの新しい技術が生まれました。新しい技術により制作方法は大きく変わりショートフィルムが作られ始めました。2004年までに教材でも広告でもないショートフィルムが生まれ始めたのです。仲間内で映画を撮ったり鑑賞したりするためだけの映画愛好家が集まって作った作品でした。当時 私もその同好会の1つに参加していました。3~4ヵ月に1回ショートフィルムを上映したり、監督や撮影や編集をこなして映画を作っていました。上映されるショートフィルムは3ヵ月で10作品ほどでした。お金にはなりませんでしたが楽しい時代でしたね。しかし状況は 再び変化します。2007年か2008年以降のことです。若い世代がコンペティションに参加し始めました。今年で10年になる重要なコンペティションでBMWshortiesと言います。テーマは毎年変わり多くの応募があります。歴代の優勝者に教えを請いながら応募者は映画を作っています。それがBMWshortiesです。比較的制作が楽なわりに、結構な額の賞金が得られます。また ショートフィルム制作の知識があれば広告業界でキャリアをスタートさせられます。そのため若き制作者がコンペティションにこぞって参加しています。規模は国際映画祭よりも大きくなります。そのような状況です。
ラミン・ウー氏(ミャンマー):
皆さん こんにちは。日本にお招きいただきありがとうございます。ミャンマーの映画界には長い歴史があり、第二次世界大戦の終わりから“黄金時代”を迎えました。世界各国の映画が上映され、ハリウッドとの共同制作作品も作られていました。ミャンマーの他の業界と同じく映画産業にも政治情勢が絡み、1962年の軍事クーデターで映画産業は壊滅状態になりました。ショートフィルムの話でしたね。映画界の長い歴史にも関わらず、ショートフィルムは1950年代まで存在しませんでした。ミャンマーのショートフィルムの歴史は極めて浅いです。2010年や2011年頃から国の民主化が進み始めました。まず、僕たちの作るショートフィルムは主にドキュメンタリーです。理由は低予算で制作しやすいからです。2011年からは安定して作品数が増えており、若い世代がショートフィルムを作る傾向にあります。テーマは暗いものが多いですね。僕たちの国は暗い歴史を抱えているので、軍事政権時代のストーリーも多くなるのでしょう。今回のコンペティションに出品された作品もそうです。今日上映された「学校へ」もその1つで、教育の欠如と貧困がテーマです。長編・短編を問わず暗いテーマが多いですね。国のありのままの姿でしょうか。もちろんショートフィルム専用の映画館はありませんが、コンペティションに向けてショートフィルムを制作します。国内外で出品するためです。現在ショートフィルムは若い世代が作ります。ショートフィルムで制作のノウハウを学ぶのです。ショートフィルムでは利益は見込めません。
シンポジウム「東南アジアのショートフィルムの現状と展望」 パネリスト全発言書き起こし2
概要:
6月19日(日)13:30-15:10 シダックス カルチャーホールで行われた「東南アジアのショートフィルムの現状と展望」シンポジウムのイベント書き起こしを配信いたします。東南アジアでも日本や諸外国と同様にデジタルビデオカメラや映像制作ソフトの普及で映像制作は身近なものとなり、作品は近年益々増加しています。そんな東南アジアにおける、ショートフィルムの映画産業全体における位置づけ、制作方法、若手育成への取組みなどを各国の短編映画業界を代表するパネリストが議論しました。
パネリスト:
Lamin Oo ラミン・ウー / ドキュメンタリー映画監督・プロデューサー (ミャンマー)
Phuong Hoang Nguyen フォン・ホァン・グェン/映画人材開発センター(TPD) 代表 (ベトナム)
Tan Chui Mui タン・チュイ・ムイ / 映画監督、ダフアン・ピクチャーズ共同創立者、ネクスト・ニュー・ウェーブ創立者 (マレーシア)
Salaithip Jarupoom サライティップ・タルプーム / チュラーロンコーン大学映画学教員 (タイ)
登壇者:高塚利恵氏(株式会社オッドピクチャーズ代表取締役)
Part2
各国におけるショートフィルム制作の状況 & 日本とマレーシアの共同制作事例の紹介&日本とマレーシアの共同制作事例の紹介
書き起こしpart1はこちら~映画産業全体からみた、東南アジア各国におけるショートフィルムの位置づけについて
書き起こしpart3はこちら~各国での若手映像作家の育成状況
書き起こしPart4はこちら~未来に向けた共通課題とその解決
サライティップ・タルプーム氏(タイ):
タイのショートフィルムの状況としては、完全に個人の資産のみに頼っています。政府や行政の援助はありません。しかしタイのショートフィルムの数は毎年増加している傾向にあります。重要な団体にタイ・フィルム・ファウンデーションとタイ・フィルム・アーカイブがあります。
毎年ショートフィルムのコンペティションを開催しており、もう20年間続いています。目指すは業界の活性化ですね。コンペティションも今では有名になりました。ショートフィルムは個人の投資のみに頼っていて検閲があまりなく、内容は多様です。なので内容は多彩です。映画制作への意識は年々高まりつつありますが、これはデジタル技術の進化と普及によるものです。ティーンエイジャーなどのデジタル世代で広まりました。映画を学ぶ学生も毎年増えています。彼らは学校を卒業するためにプロジェクトをこなす必要があります。映画を学ぶ学生は一学年約1200人で約10校の大学にある映画コースで学んでいます。私が思うに、先ほど述べたようにタイ映画のテーマは主に人間関係で中には現代問題もあります。学生の作品を質の面で検討した場合、質は高いと言えるでしょう。大学のサポートがあるからです。申請すれば大学の施設がすべて使えます。チュラーロンコーン大学にはデジタルシネマカメラのアレクサがあります。とても高性能なカメラですが、学生以外が使う場合は使用料をいただいています。なので学生の作品の制作費は成人の制作費より安くつきます。しかし成人の作る作品はバラエティー豊かです。私は今 他国との連携・協力や交換留学などを検討しています。私のワークショップに講師として来てくれるよう、今朝 ラミン・ウーさんに打診したばかりです。なぜなら私の生徒たちは古典的な手法のドキュメンタリーに熱心ではないです。ストーリー展開などについてです。海外の著名な方に教えていただけたなら、きっと生徒の糧になるでしょう。
フォン・ホァン・グエン氏(ベトナム):
私個人の話になりますが、生徒の学びを支援するために私もいろいろ模索しています。先ほど話に出た“10 months 10 short films”は成功したものの、まだ不十分です。新しいアイデアを交換し合ったり、アマチュア映画制作の道を確立する必要があります。なのでその活動の一貫としてまず立ち上げたのが“We Are Filmmakers”という新プロジェクトです。映画を学んでいる高校生や大学生とショートフィルムを制作します。最初の3年間は授業料が無料です。
過去7年間にわたりアマチュア映画制作の道を模索してきました。1,000人以上のアマチュア映画製作者を輩出しています。また 500本以上のドキュメンタリーのショートフィルムを制作しました。プロジェクトの何人かは映画業界で活躍しています。ファン・ダン・ジー監督やグェン・ホアン・ディエップ監督、グェン・トゥアン・フウ監督などです。プロジェクト名はスローガンでもあります。“私たちは映画人だ”という自覚と誇りを忘れないよう心がけています。ショートフィルムの制作費はとても少なく、1本あたり20~50ドルでしょう。とても低コストです。ベトナム唯一の施設がTPDで、設備や予算の面で制作者をサポートしています。タイやマレーシアといった他国との共同制作は金銭面の問題でチャンスがありませんでした。そして政府は支援してくれないのが現状です。設備の面でも予算の面でもです。助成金もないので我々でまかないます。しかしアメリカ大使館からの資金提供がありました。デンマーク大使館や国際交流基金からもです。ですから我々は士気を高め合いつつ、日々努力奮闘中です。
タン・チュイ・ムイ氏(マレーシア):
ショートフィルム制作の資金ですが、私の国では製作の意図や作品の役割によって異なります。生徒が制作した作品なら資金提供は両親でしょう。学校のサポートもあるかもしれません。映画製作のコレクティブ、これはフォンさんのTPDや映画同好会のようなものですが、互いに助け合っています。同好会がカンパし合ったりもします。私たちは制作にあたり助け合いますが、資金も出し合ったりします。これはなかなか厳しい状況です。
広告用の作品の場合はこれも分かりやすいですがショートフィルムをメディアとして利用しています。YouTubeの登場以降はインターネットによりかなり短い動画が増えました。広告のための動画です。NGOが資金提供するショートフィルムもあります。活動の宣伝普及や教育のためのものです。その他フィルムセンターが設立した基金もあります。もちろんYouTubeのチャンネルでは自社ブランドの広告動画が流れています。最近になって政府も徐々に支援するようになりました。マレーシア映画振興公社(Finas)の助成金がずいぶん利用しやすくなりました。1年前からショートフィルムの製作数が増えました。それ以前から政府のコンペティションがあり、100本ほどのエントリーがあったようです。コンペティション用の作品です。ショートフィルムは制作費が安くつくからでしょう。100~1000ドルで制作可能です。中には制作費がかかる作品もあります。広告会社がスポンサーの作品もエントリーされていますが若手監督に賞を取らせたいので費用がかけられています。賞を取れば賞金が出るので次の作品に使えますし、制作費に2~3万ドルほど使えるようになります。また受賞作品はテレビで放送されますし、ワークショップにスポンサーもつきます。このようにいろいろな支援を政府から受けています。私個人の意見ですが、10年前の同好会のスタイルが今より優れたスタイルだと考えています。映画の意義も目標も10年前とは異なってきました。今のショートフィルムにはあまり興味がありません。10年前は今より熱意がありました。現代のものでも中には興味を引く作品があります。「僕の彼女、ロジータ」はBMWshortiesでも受賞しました。監督は賞金で次の映画を撮るでしょう。
ラミン・ウー氏(ミャンマー):
技術の進歩により多くの作品が洗練されてきており、作品の質も格段に上がっています。ですが私はショートフィルムに興味を失いつつあります。ショートフィルム制作の資金を語る前に、まずは制作の動機についてお話しします。軍事クーデターにより映画産業が衰退し、作品の質が大幅に低下しました。映画館で上映される作品はメロドラマ調で演技も不自然です。脚本も洗練されていません。だから若手がショートフィルムを制作します。“自分が見たいものを作りたい”と、友人も言っていました。これがショートフィルム制作の動機になっています。またこれはベトナムと似た状況ですが、政府は映画制作に興味はなく支援は一切ありません。映画制作の学校もありません。監督の元で修行するアートとして捉えられてきました。学校ではなく制作会社で実務を経験します。なのでタイが受けているような支援プログラムはありません。ですが、ベトナムのように海外からの支援があります。イギリスやアメリカの大使館が支援を申し出てくれました。ミャンマーで映画制作を行う方法は1つ目はワークショップです。ワークショップにアイデアを持ち込めば国内外の指導者からトレーニングを受けられます。最終的に1作品が完成します。『ミッシング』も『学校へ』もこの方法です。もう1つはポピュラーですが友人に頼るやり方です。カメラや人材を借りたりボランティアをお願いします。ミャンマーの制作会社で働く幼なじみがいたため、僕は2013年から彼を手伝い始めました。私たちの目的はもちろんA.生計を立てる事でしたが、B.撮りたいものを撮ることでもあり、そしてC.映画を作りたい人であれば誰であれ助け合うことでした。僕は去年2作品を手伝いましたが、新人監督たちとでした。機材も貸し出しますし手伝いもします。カメラマンも音響も全員タダ働きです。監督が支払うのはみんなの昼食代と交通費だけです。よい作品作りのためにみんなでカンパし合います。私たちが今年撮影した2本目の作品はシンガポールの監督との共同作品です。彼が脚本を持ち込みミャンマーで撮影しました。他のワークショップと同じく助け合いの精神です。監督は制作費のみを払い人件費はタダでした。最後に出来上がった作品をもらいました。制作にはこの2つの方法があります。1つはワークショップでもう1つは制作会社の人材が手助けする方法です。
日本とマレーシアの共同制作事例の紹介
東野正剛(ショートショート フィルムフェスティバル & アジア フェスティバルディレクター):
3つ目の議題に入る前に、東南アジアと日本の共同制作の事例をご紹介します。我々日本も今、東南アジアとの関連も非常に密になってきており、その事例として皆さまに日本とマレーシアの合作のショートフィルムをご覧いただきたいと思います。この作品は先程もちょっとお話にも出ました、マレーシア映画振興公社のFINAS(マレーシア映画振興公社)の助成を受け製作されました。マレーシア、New Waveの一人であります、ウー・ミンジン監督による作品です。マレーシア側のプロデューサーがエドモンド・ヨウさん。ヨウさんは、2014年東京国際映画祭、コンペティション部門に監督作『破裂するドリアンの河の記憶』という映画でノミネートされておりました。お二人とも現在のマレーシア映画を牽引する人物で、タン・チュイ・ムイさんとも多くの作品を制作されていると聞いております。作品のタイトルは『沖縄』です。
<作品上映>
ウー・ミンジン監督とエドモンド・ヨウ監督は、プロジェクト「アジア三面鏡」で、行定勲監督のマレーシア撮影の受け入れを全面的に担当されています。高塚さんが、この二人とどういった経緯で一緒に制作することになったのか、現地スタッフのコミュニケーションについてお話をお伺いしたいと思います。
こういった合作というものはいかがでしたか?どういった経緯で?
高塚利恵氏(株式会社オッドピクチャーズ代表取締役):
みなさん、こんにちは。私、オッドピクチャーズのプロデューサーの高塚と申します。『沖縄』という、ウー・ミンジン監督の作品をご覧いただきまして、ありがとうございました。この作品を日本とマレーシアで共同で行うことになった経緯なんですけども、そもそもウー・ミンジン監督とエドモンドさんというのは非常に日本と縁の深いマレーシア人として、エドモンドさんは早稲田大学の安藤紘平教授の研究室で勉強していたこともありますし、ミンジンさんの奥さまは日本人だったりとかしてですね、日本が大好きで、今回日本で、日本とマレーシアを舞台にしたアクション映画が撮りたいと。彼はすごく三池崇史監督など日本のアクション映画が大好きということで、普段彼らが作っているのとは少し毛色が違うのですが、今回はこのような作品を撮りたいという話がありました。
一方、私どものオッドピクチャーズは5年ほど前にクアラルンプールの方でオールマレーシア人スタッフでショートフィルムと長編を1本ずつ撮りました。その時のスタッフさんとしてマレーシア・ニューウェーブと言われるクリエーターなどをご紹介いただき、その関係でマレーシアのフィルムメーカーたちと知り合い、マレーシアでの撮影でお世話になりました。今回は逆にミンジンさんとエドモンドさんが日本で撮ると言う時に是非私どもの方で、日本でお手伝いさせていただきたいということで、前から相談していました通りお互いに協力し合いながら作品を作るということが実現しました。
東野:
ありがとうございます。次の質問にも被っている感じですけども、エドモンドさんとミンジン監督がこちらにこられて、高塚さんがその受入れのロケーションのサポートをしたということですが、マレーシア側と日本側のとの役割分担みたいな所を、もう少し教えていただきたいです。またコストをお互い負担されたのかどうか、その辺りも少しお聞かせいただければと思います。
高塚氏:
今回のケースは特殊だなと思うんですけども、ミンジンさんとエドモンドさんも国際映画祭などで評価を得ている監督達ですので、マレーシアの映画振興公社の方で助成を受けてこの映画に取り掛るということを、もう既に決めていらっしゃいました。私どもの方は、日本シーンのプロダクションの方を手伝わせていただきましたので、今回に限ってはお金としては提供していないのです。ただ見ているとラインプロデューサーが(作品中で)撃たれて死んでたりとか(笑)何て言うんでしょうか、低予算で頑張りまして、色々ロケーション先も知り合いのマレーシアのレストランですとか、あきる野のフィルムコミッションさんですとか、俳優さん達にも、とても低予算で、ご協力頂きました。そういった意味では、労働出資みたいな感じと捉えて頂ければ嬉しいなと思います。
東野:
この作品は完成後、映画祭に出品していくのか、例えばインターネットで配信されるとか、展開はどうされる予定なのでしょうか。
高塚氏:
先ずこのショートフィルムはまだ編集中なのですが、FINAS(マレーシア映画振興公社)が彼らに助成をした目的の一つとしてパイロット版として今後膨らませていきたいという彼らの希望があります。長編映画への布石として使えればという風に思っています。ですので、このショートフィルム自体を映画祭に出すかどうかというのは、これからまた相談なんですけれども、将来的には長編に繋げて、そこから映画祭なり資金化対応なりを考えられればいいなと思っております。
東野:
なるほど、どちらかというと、長編方向を企画するためのパイロット的なものでもあったわけですね。
高塚氏:
そうですね。完成した後、そういうことも考えたらいいんじゃないかなと思いました。
東野:
では最後に、今日のシンポジウムの少しトピックでもありました合作について、高塚さん的には日本と特に東南アジアの関わりで今後どういった展望というか期待をされますでしょうか。
高塚氏:
合作をするにあたっては、是非その異文化、異国間のそのクリエーターの感性の融合みたいなものを目指したいなと思っています。例えばロケーション。国だけ異国でやってプロダクションはいつもと同じではつまらないと思うんですね。例えば監督と撮影監督が異文化同士とか、脚本家と監督が異文化同士とか、まあそういうのが個人的には好きですね。プロダクションのやり方に関しても、お互いのやり方を押し付けるのではなくて、お互いの利点を吸収しあいながら切磋琢磨していけばいいと思いますし、マレーシア人は特に、異文化交流がとても上手な国民なんですね。日常茶飯事的にいろんな言語が飛び交っている国ですので、そういった面では彼らとの文化の共有というのはこれからも続けていきたいなと思っています。
東野:
高塚さんとしては、マレーシア以外でも東南アジアの各国でも合作を希望されることもありますか。
高塚氏:
はい、是非やってみたいと思ってます。マレーシアを布石に個人的にはタイともやりたいと思ってまして、一つプロジェクトを進めてるものもあるんですけども、是非もっと日本の若い監督さんとかフィルムメーカーの人にも協力していただいて参加してもらって、一緒にあがっていきたいなという風に思っております
東野:
分かりました。
今日は本当に貴重なお話を本当にありがとうございました。
先ほどプロフィールの紹介がありました、高塚さんが「WAU」というですね、特にマレーシアの文化、カルチャー、映画であるとかに関したフリーペーパーを発行してらっしゃいまして最新号でタン・チュイ・ムイさんが特集されてますので、是非、後で見ていただければと思います。
シンポジウム「東南アジアのショートフィルムの現状と展望」 パネリスト全発言書き起こし3
概要:
6月19日(日)13:30-15:10 シダックス カルチャーホールで行われた「東南アジアのショートフィルムの現状と展望」シンポジウムのイベント書き起こしを配信いたします。東南アジアでも日本や諸外国と同様にデジタルビデオカメラや映像制作ソフトの普及で映像制作は身近なものとなり、作品は近年益々増加しています。そんな東南アジアにおいて、ショートフィルムの映画産業全体における位置づけ、制作方法、若手育成への取組みなどを各国の短編映画業界を代表するパネリストが議論しました。
パネリスト:
Lamin Oo ラミン・ウー / ドキュメンタリー映画監督・プロデューサー (ミャンマー)
Phuong Hoang Nguyen フォン・ホァン・グェン/映画人材開発センター(TPD) 代表 (ベトナム)
Tan Chui Mui タン・チュイ・ムイ / 映画監督、ダフアン・ピクチャーズ共同創立者、ネクスト・ニュー・ウェーブ創立者 (マレーシア)
Salaithip Jarupoom サライティップ・タルプーム / チュラーロンコーン大学映画学教員 (タイ)
登壇者:高塚利恵氏(株式会社オッドピクチャーズ代表取締役)
Part3
各国での若手映像作家の育成状況
書き起こしpart1はこちら~映画産業全体からみた、東南アジア各国におけるショートフィルムの位置づけについて
書き起こしpart2はこちら~各国におけるショートフィルム制作の状況 & 日本とマレーシアの共同制作事例の紹介
書き起こしPart4はこちら~未来に向けた共通課題とその解決
サライティップ・タルプーム氏(タイ):
繰り返しになりますが、タイの映画市場は卒業する学生の数と比べても小さな市場です。そうですね…、大学の生徒は毎年1200人ほど卒業しますが、映画産業で働けるのはそのうちの5パーセントです。たったの5パーセントです。市場は狭く成長していないからです。一方、フリーランスで働く方法もあります。彼らはメディア業界に就職します。映像とは直接関係ないにしろ、制作会社で働く者もいます。私が思うにコンペティションは学生が才能を披露する場であり、彼らが映画業界で就職する足がかりとなるでしょう。マレーシアに似ていますが、向こうは広告会社が人気です。ですがやはりタイでは生徒の第一希望は映画業界ですね。そのため多くの生徒がショートフィルムを制作し、才能を見つけてもらおうと努力しています。才能あふれる生徒の中には教える側に回る人もいます。学校がスタッフとして雇ったり、ゲスト講師として迎えることもあります。これは才能を直にアピールできるチャンスになります。才能ある人は卒業後、仕事を得ることができます。つまりタイでは生徒以外がこの業界で職に就くことは困難です。大学で映画を学んだ人が映画人になるケースが多いです。
フォン・ホァン・グエン氏(ベトナム):
ベトナムの状況はタイとはまったく異なり未経験の者が映画業界で仕事を得やすい状態です。ショートフィルムの制作は過去10年で大きく変わりました。ベトナムでショートフィルムのコンペティションも開催されます。映画の学校も短期コースから長期コースまであり、映画を学びたい人にとって選択の幅があります。映画を学びたい人は大学を目指しますが、大学の受け入れ数は限られています。私のセンターに入る人もいれば海外で学ぶ人もいます。私のTPDでは卒業した生徒を支援する体制が整っています。資金援助や機材の貸出などを行っています。毎年、私たちは2つのコンペティションを開催します。優秀広告賞を設けたりしています。また映画制作も行い毎年100本以上を作っています。今年 ホーチミンでコースを新設しました。これを機にホーチミンでのコミュニティー拡大を狙います。今後はダナンも視野に入れハノイ、ホーチミン、ダナンの3都市で活動します。
タン・チュイ・ムイ氏(マレーシア):
ネクスト・ニュー・ウェーブは去年 立ち上げました3年前、私が海外からマレーシアに戻った時に若手の育成のために始めたものです。彼らのショートフィルムを見ましたが、一抹の不安を覚えました。そもそも作り慣れていなかったのでしょう。それにとても慎重な作品となっていました。彼らはコンペティション用にも制作していました。すごく奇妙に感じたのですが、東南アジアらしさが薄れていたんです。10年前の作品を振り返ってみると東南アジアの色がより強く出ています。それらの作品をヨーロッパの映画祭でも見ていたからでしょうか。10年前の方が隣国を知っていました。しかしインターネットが普及したからでしょう。若手制作者はアメリカのテレビ番組やメジャーな映画の影響を受けすぎだと思います。
ネクスト・ニュー・ウェーブでは若い才能を求めています。それともう1つ、地域に根づいた育成を目指しています。1週間単位のワークショップを設け、4~5週間続けます。また近隣国から講師を呼びます。9人呼んだこともありますよ。多種多様なワークショップです。ワークショップでは、映画制作における役割分散を試みています。監督志望の人だけでなく、プロデューサーになりたい人も参加できます。監督や助監督やプロダクションデザイナー、編集や音響でもかまいません。現状として今の若手は全員が監督になりたがっているのが問題です。この問題は学校ではなくワークショップで取り組んでいます。ワークショップでは東南アジアの講師から学べます。編集ならリー・チャータメーティクン氏です。プロデューサーならフィリピン人のビアンカ・バルブエナ氏です。その仕事の第一人者を講師に招いています。たまに残念に思うのですが、生徒がこれら東南アジアで著名な方々の名前すら知らない可能性もあります。アジア全体でも屈指の才能ある方々なのです。でも(講師を招聘することで)こうした他の東南アジアの業界人の名前を学生に知ってもらう機会にはなります。また、生徒が(自分が)向いているのは監督だけでなく、プロダクション・デザイナーや音響かもしれない、ということに気づく機会にもなります。映画制作においてどれも重要なスキルです。それが今のマレーシアに欠けているものです。若手の育成を考えているのは私たちだけではありません。いくつかの広告会社もまた東南アジアを盛り上げようとしています。訓練プログラムも設けているようです。実は政府も映画産業を拡大したいと考えています。2~3年前になりますが、南カリフォルニア大学の映画学部の分校がマレーシアにオープンしました。MMUと呼ばれています。今年1期生の作品が見られるはずです。マレーシア政府は映画産業を支援し始めました。これが10年前に行われていたら現状はもっと面白いものになっていたと思います。しかし今政府の支援を受け、映画界が盛り上がりつつあります。始まって数年なのでまだ様子見です。数年後には結果が出ているでしょう。
ラミン・ウー氏(ミャンマー):
この席で映画制作を語ることに恐縮しています。僕のスタートは2013年で3年しか経験がありません。当然まだ新人です。なので自分が映画制作者になった経緯と業界人になる2つの方法を話したいと思います。僕はアメリカの大学を卒業し、帰国しました。専攻は哲学と心理学でいわば人生に迷っていて、帰国後幼なじみのいる制作会社に入りました。そこで僕はお茶くみや三脚運びなどの重要な仕事を任されました。昔ながらのやり方でキャリアをスタートしたんです。現在ミャンマーの若手が映画業界に入るためには映画制作のワークショップに参加する方法があります。
脚本やドキュメンタリーとコースの内容は様々です。ワークショップは国内外のNGOと連携して活動しています。次世代の若手育成のための一番メジャーな方法でしょう。ワークショップを設けるもう1つの理由は映画制作を学べる大学が国内にないからです。しかし若手はどんどん海外に飛び出し、日本やイギリスなどで学んでいます。しかし過去にその選択肢はなく、映画を海外で学ぶなど不可能でした。コンピューター・サイエンスやエンジニアとは違います。しかし2011年から国は民主化が進み始め、海外に映画を学びに行くという選択肢が増えました。そして卒業後にミャンマーで職を得ます。僕自身にも3~4人ほどアメリカで映画を学んだ友人がいます。つまり方法は3つあります。昔ながらの道とワークショップ経由の道と海外で学ぶ道です。
シンポジウム「東南アジアのショートフィルムの現状と展望」 パネリスト全発言書き起こし4
概要:
6月19日(日)13:30-15:10 シダックス カルチャーホールで行われた「東南アジアのショートフィルムの現状と展望」シンポジウムのイベント書き起こしを配信いたします。東南アジアでも日本や諸外国と同様にデジタルビデオカメラや映像制作ソフトの普及で映像制作は身近なものとなり、作品は近年益々増加しています。そんな東南アジアにおいて、ショートフィルムの映画産業全体における位置づけ、制作方法、若手育成への取組みなどを各国の短編映画業界を代表するパネリストが議論しました。
パネリスト:
Lamin Oo ラミン・ウー / ドキュメンタリー映画監督・プロデューサー (ミャンマー)
Phuong Hoang Nguyen フォン・ホァン・グェン/映画人材開発センター(TPD) 代表 (ベトナム)
Tan Chui Mui タン・チュイ・ムイ / 映画監督、ダフアン・ピクチャーズ共同創立者、ネクスト・ニュー・ウェーブ創立者 (マレーシア)
Salaithip Jarupoom サライティップ・タルプーム / チュラーロンコーン大学映画学教員 (タイ)
登壇者:高塚利恵氏(株式会社オッドピクチャーズ代表取締役)
Part4
未来に向けた共通課題とその解決
書き起こしpart1はこちら~映画産業全体からみた、東南アジア各国におけるショートフィルムの位置づけについて
書き起こしpart2はこちら~各国におけるショートフィルム制作の状況 & 日本とマレーシアの共同制作事例の紹介
書き起こしPart3はこちら~各国での若手映像作家の育成状況
ラミン・ウー氏(ミャンマー):
タルプームさんも言っていましたが連携についてはすでに相談中です。タイでドキュメンタリー映画の講師をお願いされましたし、脚本家の講師として、僕も彼女を招待したいですね。ミャンマーはまだ学習プロセスの途中です。この場の誰もが自分がプロだと自負しないでしょうし、作品が国際水準に達してるとも思わないでしょう。でも学ぶことはできます。僕たちができるのは国を越えて学び合うことです。近隣国の中でもミャンマーは層が薄く、いい脚本家を切実に必要としています。海外に通用する脚本家の育成が必要ですね。去年日本に招かれたアウンミン氏などがそうです。優秀な脚本家が必要です。また、他国と同じく若手は監督を志望しがちです。ミャンマーではセットデザイナーや衣装デザイナーも必要としています。ですがこれらの職業はメジャーではありません。最初のステップは近隣国で互いに助け合うことでしょう。それが1つと、もう1つは学ぶためにもっと映画を見たいと思います。タイ、マレーシア、シンガポールのあらゆる国の映画をです。一般人だけでなく映画人と共有したいですね。他国はどんな技術を使っているのか、作品の傾向はどうなのかなどをです。それがもう1つのステップだと思います。他国の映画を見ることで得られる気づきがあります。文化と技術の両方で発見があるでしょう。だから僕はこの場にいる3人をミャンマーに招待したいと考えています。
タン・チュイ・ムイ氏(マレーシア):
東南アジアは近隣国を意識し始めたばかりです。きっかけの1つがシンガポールの国際映画祭でした。フィリップ・チア氏が携わっていた映画祭です。“隣人から学べ”が彼のモットーでした。東南アジアの映画祭に大きく貢献してますし、彼は重要な人物です。もう1人、映画祭の新ディレクターのワフユニ・ハディ氏も沢山の東南アジア作品を紹介しています。活動を始めたばかりのインドネシアのプロデューサー ジョン・バダル氏とメイスク・タウリシア氏のプロジェクト“Know Your Neighbours”では東南アジアの映画を多く取り上げています。観客や監督とスカイプで議論を交わしています。私が見学したのはモーリー・スルヤ氏で、タイのアノッチャ・マイ監督の作品を選んでいました。上映後、スカイプで作品の感想を語り合うのです。面白い取り組みだと思います。
ネクスト・ニュー・ウェーブでもワークショップを開き、近隣国の講師と若手の議論の場を提供しています。映画産業の未来はどうなるか分かりませんが、映画祭では東南アジアにもっとフォーカスしてほしいですね。カンボジアやミャンマーで国際映画祭が開かれています。最初は国際的に有名な作品ばかりでも徐々に近隣国の映画を上映していきたいですね。東南アジアの連携が強まるでしょう。映画制作についてはもっと学び合えると思います。近隣国だからこその共通点がありますし、国の状況も似ています。タイの状況はこの中では明らかに異色でしょうが、その違いもまた興味深いと思います。政治・社会・歴史的背景はどの国も異なり、ミャンマーやカンボジアやラオスは面白いですね。マレーシアの10年前の状況と今のカンボジアが重なるかもしれません。10年以上前の2000年頃、私は仲間と一緒に映画を作っていました。仲間には弁護士もいました。グラフィック・デザイナーやエンジニアなんかもです。私自身はCGアニメを勉強していました。みんなで協力し合って映画を撮ったものです。役割も交代していました。それと同じ状況が今のカンボジアで見受けられます。どの国にも類似点と相違点を見つけられるでしょう。
サライティップ・タルプーム氏(タイ):
このシンポジウムを企画してくださり、ショートショートフィルムフェスティバルに感謝いたします。知り合いを作るいい機会になりました。ショートフィルム制作で協力し合いましょう。私は大学で映画について教鞭を取っているのでありがたい機会でした。近い将来 ワークショップを開き、この場の全員を招待したいと思います。ありがとうございました。
《速報》6月19日 シダックス・カルチャーホール会場 イベントレポート シンポジウム「東南アジアのショートフィルム現状と展望」
東南アジアの第一線で活躍する映像製作者をお招きしたシンポジウム「東南アジアのショートフィルム現状と展望」を、午前中に上映された「東南アジアプログラム」に引き続いて開催!
パネリストは、東南アジア4ヵ国からタイのサライティップ・タルプームさん、ベトナムのフォン・ホァン・グェンさん、マレーシアのタン・チュイ・ムイさん、ミャンマーのラミン・ウーさん。各国での“ショートフィルム事情”を、さまざまな角度からお話いただきました。(詳しいプロフィールはコチラ)
一括りに東南アジアと言っても、政治や宗教的背景、経済状況などは大きく異なるため、映画製作事情も多種多様。例えば、マレーシアでは広告業界がショートフィルム製作の土壌となっていたり、ミャンマーでは比較的コストがかからないドキュメンタリー作品が多くつくられていたりと、各国の具体的な状況を伺うことができました。
パネルディスカッションの合間には、日本とマレーシア合作で製作したショートフィルム『OKINAWA』を上映。同作品に携わった(株)オッドピクチャーズの高塚利恵さんにもご登場いただき、完成までの経緯や撮影現場でのサポート体制、そして「異国間の感性の融合を目指したい」という未来への展望を語っていただきました。
普段、あまり知ることができない東南アジアのショートフィルムの内情をたっぷり聞けた1時間半。パネラーの皆さんも、共同でワークショップをしようと盛り上がるなど、ショートフィルムの新たな輪が国際的に広がっていく貴重な機会になりました。