竹富島の集落を一望できる展望台。文治2年(1185年)、壇ノ浦の海戦にやぶれた平家の落武者赤山王は遠くこの地に漂着し、地の利を占めるここを要害とした。 1953年にこの由緒ある地を一和会が買収し部落へ寄贈したので、西部落会では巨費を投じここに塔を建ててなごみの塔と名づけ、部落の収会に或はこどもの遊び場として年々施設が増設されつつ今日に至っている。