Project 2

日本各地のストーリー創作

「君たち」上田岳弘

 昼の盛り、僕と女は似たような姿勢で、洋風造りの家の庭から海を眺めている。
 僕はパラソルの陰から眺めているが、女は日なたからそうしている。麦わら帽子でも被れば一層のことだが、僕に背中を向けて遠くを眺める姿は十分に絵になった。緑、それから薄紫と黒とが複雑に絡まり合う薄手のワンピースの生地と、長い黒髪とが風にたなびいている。太陽の光を反射して海面は不規則に煌めいた。
 年齢は、20代後半〜40代の幾つにでも見えた。こんな別荘地で海を眺めながら過ごす彼女は海の向こうからくるものを待っているようだった。確かそういう話があったなと僕は思う。なんだっけ? Googleで調べればすぐにわかるはずだけど、調べない。普段の生活から切り離されて、友人から格安で借りた別荘で過ごす、日常から切り離された時間が「今」なのだ。中途半端な集合知に繋がって、風情を壊したくなかった。海の名前を調べないのも同じことだ。なんでもわかりやすい説明がないと、気が済まないのは僕の悪癖だ。いや、だったというべきか。
「君はいつも、何でもわかりやすい説明を求める。待ち方を知らないんだよ。君たちみたいな人たちがいるから、ふざけた名前の原爆をつくって二つも落とすんだよ」
 別れる前に元妻が言った言葉が脳裏をよぎる。
 国際政治学の研究科に助手としてつとめる元妻は、酔っ払うとなんでも原爆投下の話に繋げる癖があった。リトルボーイ( ちび )ファットマン( ふとっちょ )というふざけた名前の原子力爆弾が実際の街に投下されたのは人類の犯した最大の愚行で、すべての悪いことがその事象に繋がっているというのが持論だった。威嚇射撃がなかったこと、一週間とおかずに種類違いの爆弾を街に落としたことを鑑みると、おそらく落とした側は対象を人間だとは思っていなかったのだろう。愚かさとか、暴力性とか、愛のなさとか、そういった種の悪いものが多層的に積みあがらないとあんな蛮行はできない。彼女の中では、僕の「待てなさ」も悪いことの一つだった。
 隣の家の女が海を見ている姿を何かを待っているのだと思ってしまうのは、そんな思い出も関係しているかもしれない。

「蝶々夫人じゃない? それ。こないだ熊川哲也がバレエに翻案したのを観たよ。コロナの直前のことだな。しかし、コロナ前のことは妙に遠くに感じるな」
 LINEで隣の家の女性について友人に伝えるとすぐに返信が来た。続くメッセージにはWikipediaのリンクが張られてあった。----蝶々夫人=・アメリカの弁護士ジョン=ルーサー・ロングの短編小説/上記をもとに制作されたアメリカの劇作家デーヴィッド・ベラスコの同名の戯曲/上記2作品をもとに制作されたジャコモ・プッチーニ作曲の同名のオペラ』
 ざっと読んで行くと、長崎が舞台の話で、日本に滞在するアメリカの軍人と日本人女性=蝶々さんが結婚をするが、任期を終えた軍人は「いずれ戻る」という約束をして母国に帰る。しかし、約束は守られず軍人は戻らない。アメリカ軍の来ぬ人を待つ女性の哀しみを描いた物語。Wikipediaによれば、元はアメリカ人弁護士の短編小説とのことだが、実在の人物をモデルにしているという説が濃厚であるらしい。ページの下の方には「蝶々さんは誰か?」と考察された項もある。実在の人物を元に短編が作られ、短編から戯曲が作られ、それらを元にオペラまで作られた。おそらくはそのシチュエーション自体に何か人間の感興の芯をつくものがあるのだろう。「来ぬ人を待つ女性」。かくいう僕自身、何かを待っているらしい、隣の女性の背中から想像を膨らませていたのだった。
「配置的に向こうの家の方がいいんだよ」
 彼が送ってきたWikipediaを読んでいて反応を返さないでいると、そんなメッセージが続いた。
「向こうの家からだと、視界が邪魔されることなく海が見えるだろう? それが、俺の家からだと、あの家の庭を挟んでしか見えない。俺が滞在している時には見かけなかったんだけど。その女、いつからいるんだ?」
「こっちに来た時からずっといるよ。持ち主か、あるいは、持ち主に近い人じゃないかな」
「まあ、そうかもな、Airbnb( エアビー )に出していたらもっと頻繁に人が来ていたはずだしな」
 Airbnb( エアビー )は、友人が利用しているWEBで客を募集する貸し別荘サービスのことだ。彼の所有する、そして僕が滞在するこの家があるのは水たまりみたいに穏やかな瀬戸内海中、最大の島である淡路島の南端だった。貸し別荘としては人気のエリアで、友人は投資用としてそれを買って、マンション経営よりもよほど高利回りで運用できていたらしい。
 状況が変わったのはやはり、新型コロナ騒ぎのためだった。借りていた客は半分ほどが外国人で、残りは日本人客だったらしいが、もちろん大抵は島外の人間で、島のある兵庫県を含めた地域に緊急事態宣言が出されて以降はぱったりと客足が途絶えた。東京と埼玉で投資用物件を複数運営する友人にとって、宿泊客をあてにした別荘投資は初の試みだったらしいが、こんな騒動が持ち上がるとはいかに敏い彼でも読めなかったようだ。それはそうだろう、おそらく地球上の誰もが戦争以外で中止されたことのないオリンピックまでもが延期されることになるとは想像していなかったはずだ。いや、もし仮に今の状況を細部まで予想できた人物がいたとして、実際に新型コロナ騒ぎが起こる前にそれを喧伝したなら狂人扱いされて終わっていたに違いない。

 僕はちょうど転職先が決まって、有休消化をしているところだ。これまでに一度転職したことがあった。もう10年前のことで、転職癖がついているとは自分では思わない。前回の転職が失敗だったとも思わない。一昔前ならば、会社に骨をうずめるのがキャリアの正道と目されていたように思うし、今でもレガシーな大企業のサラリーマンたちにはその風情はまだ残っていて、それはそれで古くて立派な建造物を眺めるような心地よさはあるが、僕には向いていない。
 何となく着なくなったコートを買い替えるように、一度目の時も、二度目の今回もごく自然な形で新しい職場への誘いがあって、僕はそれに応じた。僕が着なくなった服も誰かにとっては最良のものであるのはよくある話だ。待遇だって仕事内容だって満足していたが、合わなくなった以上、いつまでもその場所を占拠していてはいけない。キャリアの進め方について僕は鼻が利くところがあって、会社の中で仕事を進めるにあたっても後悔したためしがなかった。だから今回の転職だってうまくいくはずだった。僕にとってだけでなく、新しい会社にとっても、そして後にした会社にとってもとても収まりの良い形に落ち着くはずだった。
 転職予定先はイスラエルのソフトメーカーの日本の代理店を務める会社だった。アジア全域へと取り扱いを広げるに際し、もともとは各国に代理店が置かれていた。それが、戦略の変更によって、アジアを一つのエリアとしてまとめ、アジア総代理店を決めることになり、中国企業との激しい権利争いの末に転職予定先の企業がアジア総代理店の座に内定したはずだった。その事業を担当する役員が右腕を必要としていて、僕はそこに収まる予定だった。しかし疫病のために、アジア総代理店の内定話は一旦白紙に戻り、その隙にどういう力学が働いたのか中国企業が巻き返し権利をかっさらっていったらしい。
 僕を会社に誘ってくれた担当者はとてもバツが悪そうに経緯を説明した。
「どうも新型コロナでビジネスがストップしている間も、代理店としてのフィーを払うことを約束したらしい」そう言い訳がましく付け加えた。
 既に退職の手続きに入っていた僕にあまりに悪いと思ったのか、なにがしかのポジションを用意すると彼は言ってくれたが、暗に匂わせたところによれば予定していた報酬は払えないようだった。進んではならない隘路の匂いがぷんぷんしていた。けれど僕はすぐに返事をするのは避けた。
 有休消化の淡路行きが決まっていたから、そこでゆっくり休みながら考えればいい。

「観音見たか?」
 友人からちょくちょくLINEが来る。彼の言う「観音」とは、世界平和大観音のことだ。彼が淡路の見どころの一つとして挙げていたもので、20世紀、未曽有の好景気に沸き立ったこの国で、不動産業で財を成したというある実業家が建造したコンクリートの大観音像。その高さは実に100メートルに達する。牛久の巨大仏に次ぐ大きさで、建造当時は日本一の大きさを誇ったらしい。せっかくだから彼から借りた別荘へと車を走らせる時にその脇を通った。異様な大きさの、雑な表情をした観音像の傍らには屋根が何重にも重なった和風建築があることも見て取れた。
「見たよ」と僕は友人に返す。
「でかいよな。ああいうのはでかければでかいほど、一体どれだけ後ろめたいことをしてきたのか疑いたくなるね」
 観音の大きさは罪悪感の大きさ。単純な解釈だ。僕は友人のメッセージに既読をつけて放置し、倉庫から取り出してきたパラソルの陰にデッキチェアとサイドテーブルを広げ、チェアに寝そべってコロナビールを飲んだ。
 友人はITコンサルとして企業に入りこんで、キーマンの心をつかんで性質( たち )の悪いカビみたいに----というのは彼の表現だが----いろいろな部署の業務を請け負う仕事をしている。単にサーバを自社からデータセンターに移す手伝いをしていただけのはずなのに、いつの間にやらその会社の新卒採用の責任者に指示を出していたりする。僕が彼と知り合ったのも、当時の取引先のプロジェクトの責任者としてだった。仕事が形になった際、打ち上げで実は正社員ではなくて外部スタッフなのだと知らされた。おまけに出身大学も学部も同じで、一つ下の学年であり、共通の友人がいるということもわかった。大学の学年では一つ下とは言え、彼は一年浪人して入ってきているから年齢も同じだった。波長が合うところをお互いに感じたのだろう、共通の友人を交えちょくちょく飲みに行く仲になった。そうするうちに僕の人間関係のカテゴリでは、「学生時代の友人」に近いところに分類している。苗字を呼び捨てするようになったし、呼びかける時は「お前」と言って感情を害される心配もない。
「お前の好きそうな酒をチョイスして冷蔵庫に残しておいたから好きに飲んでいいよ」
 と言われてあったから、楽しみに巨大な冷蔵庫を開けた。冷蔵庫の中の灯りに照らされて、琥珀色の輝きが目を襲った。コロナビールだ。チョイスと言いながら、琥珀色のコロナビールの瓶がびっしりと並んでいる。そして目の高さのところには、
「コロナに打ち勝て」
 と彼の肉筆で書かれたA4のOA用紙が貼り付けてあった。数えてみると100本を超えていて、滞在予定の2週間で打ち勝てるだろうか?

 酒を飲みながら、ただじっと海を見る。それ以外何もしない。そんな風にぼんやりと過ごしたことは随分なかった。とりわけ、30代の10年間はひどかった。会社の成長とともに、創業メンバーが次々とやめていき、その分の仕事が僕に回ってきた。妻はどうしても子供が欲しいのだといい、不妊治療にいそしみ、僕もそれにつきあった。結果子供はできずに、その時のすったもんだによる関係の悪化が無視しえないほど広がって離れることになった。いや、これは僕なりの解釈だ。そんな風に単純化する僕の性分を彼女はなじった。20代のうちは、子供はできたならできたでいいし、できないならできないで仲良くやっていければいいというのがお互いの合意事項だったはずなのに、タイムリミットを意識することで妻の感情が大きく変わったんだと思う。2歳しか違わないのに、自分の方が年上であることを彼女はひどく気に病み始め、快活だった性格にわずかに陰りを見せだした。関係を修復することはどこかの段階ではできたはずだ。でも間抜けな僕はいつもその地点を通り過ぎてから、高いところから落ちていくものを眺めるような焦燥感とともに気づく。
 コロナビールの黄色いその液体がわずかに唇からはみ出して、顎を伝って首元を濡らす。海には幾艘かの船。ベージュ色のパラソルは夏の日差しを遮断しきれていない。むっとした熱気が体の周囲を包む。その熱が眠気を誘う。瓶の底に残ったコロナビールを飲み干すと、体勢を変えるのも面倒で地面に瓶を放り投げ、それから目をつむる。

 ----目の前には、丸く黒々としたものがあった。その黒を縁どるように、アーモンド型の縁。目だなと思った次の瞬間に、それがのっぺりとした白い顔の人形であることに気づいた髪も真っ黒で、伝統的な日本髪をしている。藤色の着物を着た日本人形、妙なのは布製のマスクをしていて口元から顎までが隠れている---
 夢を見ているんだろうと思った。でなければ、どうして人形が僕を覗き込んでいる? でも、人形の夢を見る心当たりなんかまるでなかった。いや、そもそも夢に心あたりを求めるのがおかしいのかもしれない。夢は何の脈絡もなくやってきて、そして覚醒とともに霧散する。すっかり目が覚めてしまったなら直前に見ていた夢を覚えていないことも多い。ちょっとした喪失感とともに見ていたはずの夢の余韻をまどろみの中に感じるのが僕は好きだった。
 しかし夢にしてはその人形ははっきりとし過ぎている。僕を覗き込んだ姿勢のまま動かない。そう思って視線を巡らせると、人形に手を突っ込んでいる操り師の姿も見えた。
髪の長い、学校の制服を着た少女だ。
「うらめしや」
 と人形遣いの少女が言って、人形の顔をぐいと僕に近づけ、震わせる。どうやらこれは夢ではないな、と気づいたのは、クーラーボックスに手を伸ばし、コロナビールを取り出した時だ。これは現実に起こっていることで、ただ支離滅裂なだけだ。支離滅裂な現実というものがこの世にはあるのだ。いや、支離滅裂に見えているだけで、情報が足りないだけのこと。寝ころんだままでビールの瓶を開けあぐねて、僕はチェアから体を起こす。すると日本人形も僕の動きに合わせせるように立ち上がり、まだその顔は僕の真正面にある。
「うらめしや」
 とまた少女が言う。
 君はどこの子なの? と訊ねようとした時に、視界に動くものがうつった。隣の女。蝶々夫人、と僕と友人とで呼び習わしている彼女が、僕たちの方へと歩いてくる。

 その少女は蝶々夫人の娘だった。中学生ということだが、なんだか説明が後ろめたそうな感じがして、もしかしたら不登校なのかもしれなかった。
 僕は彼女に娘がいたことが意外な感じがした。いや、意外というのとも厳密に言えば違う。僕は彼女の背景をほとんど具体的に想像していなかったからだ。
「お休みのところ失礼しました」
 最低限の情報だけを伝え、彼女は娘を連れて家に戻ろうとする。でも僕は退屈をしていて、実際に休んでいるところを邪魔されもしたのだから、多少は興味を満たす質問をしてもよいだろう。
「それは浄瑠璃の人形ですか?」
 彼女はちらりと娘を見る。娘が背中に手を突っ込んだ人形に目をやると、ええと小さくつぶやき、
「クラブ活動で」
「クラブ活動で、浄瑠璃ですか?」
「この辺はさかんみたいなんですよ」
 さかんみたい、その言い方からして、この辺の人ではなさそうだった。言葉のイントネーションも完全に関東のもので、おそらく島どころか関西の人間ですらない。
「ここにお住まいなんですか?」
 僕は思わずそう聞いてしまい、ちょっと立ち入り過ぎだと思った。だからだろう、この家は友人が所有のもので、普段は貸し別荘として使っていて、今はこういう状況だから、借り手がつかず格安で借りていることを説明した。彼女は黙って聞いていて、僕が話し終わってから、10秒くらいは何も言わず押し黙っていた。
「勝手に敷地にまで入ってしまって、本当に失礼しました」
 最後にぺこりと頭を下げると、娘の手を引っ張って彼女の家へと戻っていった。遠ざかっていく間、マスクをつけた人形だけがずっと僕を見ていた。

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プロジェクト参加作家

  • 兵庫県 上田岳弘

    上田岳弘(うえだ・たかひろ)

    1979年、兵庫県生まれ。早稲田大学卒業。2013年、「太陽」で第45回新潮新人賞。2015年、「私の恋人」で第28回三島由紀夫賞。2016年、「GRANTA」誌のBest of Young Japanese Novelistsに選出。2018年、『塔と重力』で平成29年度芸術選奨新人賞。2019年『ニムロッド』(講談社)で第160回芥川龍之介賞。

    「君たち」

    有給消化のため、淡路島にある別荘地に滞在する「僕」は、隣の家で暮らす謎の母子に出会う。うらめしや――日本人形で『播州皿屋敷』を演じる少女と自らの境遇について「わかりやすい説明」をする母親との一晩の記憶。

  • 福島県 大前粟生

    大前粟生(おおまえ・あお)

    小説家。92年兵庫県生まれ。著書に小説集『のけものどもの』(惑星と口笛ブックス)『回転草』『私と鰐と妹の部屋』(書肆侃侃房)『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』(河出書房新社)

    「おばあさんの皮」

    「美人とかいわれるのが嫌だった」。故郷の福島県三島町から上京する途中、立ち寄った土湯温泉で「おばあさんの皮」を手渡された京子。皮を被っておばあさんに変身し、気になる男性の心のうちを探ろうとするが……。

  • 北海道 高野ユタ

    高野ユタ(たかの・ゆた)

    北海道出身、在住。2020年、ショートショートの文学賞にリニューアルして初回となる第16回坊っちゃん文学賞で「羽釜」が大賞を受賞。

    「日映りの食卓」

    千雪は、お母さんが作ってくれた最後の朝ごはんを食べなかったことから、食べものをうまく受け入れられなくなる。夢で熊になってとる食事に助けられどうにかやり過ごしてきたが、一周忌が迫ったころ状態は悪化。そこで、一人の同級生と出会う――。