14歳の少年がジョン・レノンへインタビューをした際に録画した音声を元にできたショートフィルム 戦争と生きる力プログラム supported by 赤十字
2016年04月30日
ショートショート フィルムフェスティバル & アジア 2016 公式サイトオープン!
今年のショートショート フィルムフェスティバル & アジア開催まであと2か月を切り、webサイトも本格オープンしました! 上映作品の中からとっておきのプログラムや作品をご紹介!今回のプログラムは「戦争と生きる力プログラム supported by 赤十字」
外国で起きたテロのニュースが届くとき、あるいはテロリストたちを狙って空爆がなされたとの報に接するとき、なぜ平和な世の中にならないんだろうかと首をかしげてしまう。そんなときには平和についての先人たちの言葉に耳を傾けたくなる。たとえば、ジョン・レノンの言葉に。
そのための機会として、ショートフィルム 『I Met the Walrus』 はうってつけだ。1969年、ベトナム戦争の始まったばかりのアメリカへ入国直前のジョンを14歳の少年ジェリーが突撃インタビューした際に録音した音声に映像を付け加えて出来上がったものが本作品である。
この作品を観るのなら、ジョンのメッセージが視覚的に表現されている点をまず楽しみたい。彼の発した言葉でもなければ彼がつくった音楽でもない、彼の発言に他人が想像力を吹き込んでつくられた映像からこそ伝わるものもあるだろう。
冒頭で画面に飛び散った黒インクがさらりと題名へと変わり、さらに字幕へと変わるように、この作品は連鎖を楽しませるものだ。その連鎖はジョンの言葉を視覚化していくのに貢献する。国を代表して物を言う報道官の背中からは阿修羅の手のように銃が生え、他の場面では銃の上に都市が栄える。インタビュー音源に紛れ込んだレノン家の電話ベルは受話器となって画面に現れ、ジョンが発した「抗議」という単語を受けて送話口から手が飛び出していき、イメージの連鎖に加わる。またとある人間の右肺はキリストに、左肺はヒトラーに変わられ、人間の心の両面性が表現される。目まぐるしい映像表現の妙がそこで語られるメッセージ性とは裏腹に楽しくもある。アニメーションならではの非現実的なカメラワークが視聴者を引き込みもするだろう。視聴者を置いてけぼりにするような荒唐無稽さがこのショートフィルムに加われば、1970年代に活躍した英国のお笑いグループ、モンティ・パイソンのメンバーのテリー・ギリアムによるアニメーションに近くなるだろう。
そんな次々と流れていくイメージが何かひとつでも視聴者の脳裏に残れば御の字だろう。全部を理解する必要はなく、理解することもできない(ちなみに作品中でジョンは自分の作品のメッセージ性に後で聴いてみて気づくとも発言する)。アニメーションならではの想像力を堪能しながら、現実世界を考える際の参照項となる一枚絵を心に刻みたい。
ジョンがこのインタビューで語った言葉に「暴力は暴力を生む」というものがあったが、それは2016年現在を生きる私たちに「イスラム国」(ISIL)を憶い起こさせるだろう。中東に干渉してきた西欧諸国に不満を抱えた若者たちや現代社会に嫌気の差した青年たちによる罪のない民間人へのテロ行為は日本に生きる私たちにも無関係ではない。そして脅威である彼らを掃討するための空爆は新たな憎しみを生みかねない。そんな袋小路に入ったいま、せめて解決策を考えることだけは続けていたい。たとえ答えは出なくとも。『I Met the Walrus』が含まれた【戦争と生きる力プログラム supported by 赤十字】はその際の材料となるだろう。
ちなみにタイトルに使われている “Walrus” はセイウチの意。ジョンが作詞作曲したビートルズのシングル曲”I Am the Walrus”から取られているのだろう。セイウチはルイス・キャロル作『鏡の国のアリス』の登場人物であり、ここにジョンが好んだナンセンス文学の影響が見られる。手元にある武藤浩史著『ビートルズは音楽を超える』(平凡社新書)によれば、この “Walrus”(ウォールラス)は “all of us” (オール・オヴ・アス/オーロヴァス)に聴こえもする。つまり「私たちみんな」とも解釈できる(22−5頁)。その解釈をこのショートフィルムにまで持ち込む必要は必ずしもないが、タイトルに当てはめれば「私は私たちみんなに会った」となる。
この文の主語の「私」はインタビュアーのジェリー少年であると同時に、個々の視聴者である。そして出会った「私たちみんな」はジョンであり、ジョンが語った人間一般、つまり平和主義者だけでなく戦争を止めない者たちのことでもある。
インタビュー内でジョンは「世界の平和は僕たち次第だ/ “戦争を始めたのは政府だ” と文句は言えない/僕らがそれを許した」とも発言する。ここには「奴ら」という悪玉を設定して善なる「私たち」に満足するのとは正反対の姿勢が確認できる。私(たち)は平和を訴えるジョンであり、同時に戦争を許している存在でもあることを示しているショートフィルムだと捉えられるだろう。観ることで「私」という存在が変わっていく作品なのだとも言える。実際には裸眼だったジェリー少年(写真左)がこのショートフィルムではジョン(写真右)のように丸メガネをかけているのもそのことを表しているように思える。
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- ライター情報 辻宜克
東京大学の大学院生。20世紀後半の文学や映画や音楽について知ったかぶりをしています。東京国際文芸フェスティバルの公式Facebookでは数多くのイベントレポートを執筆。立東舎のホームページにも『きっとあなたは、あの本が好き』と『ネコマンガ(●ↀωↀ●)✧ コレクション』の刊行イベントのレポートが掲載されています。
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