原田眞人監督に聞く、『ショートショート フィルムフェスティバル & アジア 2013』 オフィシャルコンペティションの審査員を務めて
応募総数4559作品の中からイランの作品がグランプリに輝いた
8月からは来年度に向けた作品募集が開始になる予定です。
今回は、
原田監督の審査員をしての感想や日本映画界、映画教育に対する鋭い意見をご覧ください。
※このインタビューは2013年10
――『ショートショート フィルムフェスティバル & アジア 2013』のオフィシャルコンペティション審査員を務められ、どんな感想をお持ちですか。
「世界の若手はよく映画を学び、人間を学んでいる。殊に、欧米勢、韓国中国勢の技術の向上には目を見張りました。僕自身の審査の基準はライヴ・アクション主体になってしまいましたが、インターナショナルではアニメーションの優れたものも多かった。ブラジルの『リニア』、ドイツの『父から息子への手紙』、エストニアの『粉屋とカモ』『トライアングル・ラブ』、デンマーク/スウェーデンの『消せない世界』など、センスは抜群でした」
――監督として、ショートフィルムについてのご意見をお聞かせ下さい。また、どんな基準をもって審査したのでしょうか。また、ショートフィルムと長篇作品の違いは何だと考えていらっしゃいますか。
「ショートフィルムについては、昔から、すでに一流と呼ばれるようになった監督の短編や習作時代の作品を見て、成長の軌跡をあれこれ想像するというのは好きだったんです。フレッド・ジンネマンとか、ケン・ラッセルとかね。短編で頭角を現す若い才能を発見するのは、映画人の大いなる愉しみと義務であると思います。
今回審査員として大切にしたのは、人間がいかに描かれているか。その『いかに』の中にどれだけ技術の習得力が感じられるか。そして、何か傑出した一点はあるか、といった観点からです。短編はどちらかと言えば理数系。計算と公式が有効で、計算ミスが許されない。長編ではミスがあったとしても、それが作り手の意図するものと違う評価を受けて作品のふくよかな個性を作るのに役立ったりもする。どこかで映画は観客のものであるわけです。しかし、短編は徹頭徹尾作り手のものでなければいけない。観客に評価を任せるなどとは、考えてはいけません」
――グランプリに、ガブリエル・ゴーシェ監督の「人間の尊厳」が選ばれました。
「第一印象として、ゴーシェ監督は、英国労働階級の悲喜劇をヴィヴィッドに描いて世界に名を馳せたケン・ローチ監督の系列だなと思いました。しかも、ローチの習作時代に比べると技術面で圧倒的に勝っている。15年目の節目となる本映画祭のグランプリにふさわしい才能でした。わずか16分の中に現代社会の在り方を痛烈に投射し、見事な演技を引き出し、ひりひりする台詞、適格なショット構成で“心の在り方”を描いた技量はすごい。しかも、ここに描かれる暴力は心象風景のメタファーでもあり、卓越した音響効果をもって描かれている。舌を巻いた、と言っていいほどです」
――選考外でも可能性を感じた作品などがあれば教えて下さい。
「『泥棒』にはショートの妙味といったものがあふれていて、幾多の映画祭で受賞しているのも頷ける作品でした。日本でも観客賞を取ると思ったのですが、『インタビュー』に観客賞が行った。これはキャストばかりでなく、スタッフにも障害のある人々が多く関わったという点を評価したのでしょう。ただ一方でそれが、日本の観客賞の甘さのようにも思えます。“気持ちよく楽しめる”だけで満足してしまうのは、キネマ旬報の読者賞にも言えるのではないでしょうか。『泥棒』と『人間の尊厳』は優劣をつけがたいですが、将来性を考えた時に、ぼくはグレッグ・ロム監督が『泥棒』以上の作品を作ることができるのかという疑念を抱きました。ロムよりもゴーシェの将来性を買ったわけです」
――選考の過程の審査員同士のやりとりなどで、面白いエピソードがありましたでしょうか。
「アミール・ナデリとは、予測通り随分やりあいました。作品から判断しても僕とは合わないもの(笑)。ところが、審査委員長的存在だった宝田明さんを交えて雑談をしていたら、70年代アメリカでの活動状況に随分共通項があることがわかりました。アミールは東海岸でぼくは西海岸なのだけれど。殊に『レイジング・ブル』の撮影にも絡んでいたなんて、大興奮する事実も出てきたし、ある時期、僕が日本に向けて持っていた“アメリカで勉強した映画青年”の顔を、彼も故国のイランに対して持っていたんだと思います。今は彼にものすごく親近感を感じていて、バディ関係にあるといってもいいんじゃないかな。宝田さんはエレガントな紳士であることを改めて認識したし、森理世さんと成海璃子ちゃんはしっかりとしたスタンスを持っているのが印象的でした」
――原田監督は『クリエイターズセミナー』にも講師として参加されましたが、どんなお話をされたのでしょうか?
「日本の短編が諸外国のものと比べて弱い、その責任はクラシックを学ぶ姿勢の欠如と、世界レベルの技術を論ずることのできない学校の教え方、あるいは映画雑誌などにあるというような話をしました。キネマ旬報なんて問題だらけですよ」
――いよいよ来年の作品募集が始まりました。これから作品を応募するクリエイターに向けたメッセージをお願いします。
「ジャパン部門のレベルはまだまだです。基本的な技術の足りなさは無論、ストーリー、配役、ロケ選択も安直です。自分たちの立っている周りですべてが処理され、小さな世界で小さくまとめようとしている。無論、これは短編と若者たちだけの罪ではなく、日本映画全体が安直な枠組みの中で作られ、評価されていることとも関係しています。その中で唯一、正面から世界と競えるセンスを感じさせたのが『寿』でした。監督の田中希美絵さんが、ニューヨークやシンガポールで映画の勉強をしていることを考えると、日本の映画教育にも問題があるのかもしれない。スグレモノ作品を撮る世界の若手は、映画をよく研究している。だからキャストで外さない。短編は、長編以上に主役の顔がものをいいます。とりあえず出てくれる人をキャスティングしたような作品では世界へ出て行くことはできません。世界のレベルはあがってるんだぞ! 日本映画のガラパゴス化から抜け出す努力をすべし!!」
出典:キネマ旬報 2013年10月下旬号 No.1648 より
執筆者
構成・文=熊坂多恵
原田眞人監督 プロフィール
はらだ・まさと/1949年生まれ、静岡県出身。ロサンゼルス在住時に映画評論家として活動。その後、「さらば映画の友よ インディアンサマー」(79)で映画監督デビュー。主な監督作品に「KAMIKAZE TAXI」(95)「金融腐蝕列島 呪縛」(99)「突入せよ! あさま山荘事件」(02」「クライマーズ・ハイ」(08)「わが母の記」(12)「RETURN(ハードバージョン)」(13)など。ハリウッド作品「ラスト サムライ」(03)には俳優としても出演。