総おどり当日は、文句なしの晴天だった。九州の夏は燃えるように暑い。わいわいがやがやと騒がしい人の波が、会場の気温を更に上げている。
『――総おどりにご参加の皆様は、スタッフの指示に従い、道路上にお並びください』
そのアナウンスを合図に、わたしたちは手を繋いで道路に一歩踏み出した。
麦ちゃんと熊本城の前で出くわしたのち、わたしたちはどんな格好で参加するか話し合った。あんなに練習したんだし、どうにかこうにか結果を残したい。そのためには、人の目に留まる何かが必要になってくる。
そこでわたしはひらめいた。
「おてもやん総おどりに出るんだけん、おてもやんメイクすればいいたい! わたしってば、もしかして天才?」
……思いついた時はグッドアイデアだとしか思わなかったけれど、実際に当日を迎えてみると、本当に大丈夫だろうかと急に不安になってきた。
夕方の花畑広場には、既に屋台が立ち並び、たくさんの人が行きかっている。隅の方の段差に腰を下ろしてひそひそ話をするわたしたち二人を気に留める人なんて、まったくいない。
いつぞや言われた、“お小遣いはなるだけ出すけん”というお言葉に大いに甘えてお父さんから貰ったお金で買った千三百円のパウダーと、五百円の口紅を手に、ごくりと唾を飲み込む。すみちゃんは今日のために眼科へ行き、コンタクトを買ってきた。眼鏡を外すと、いつもよりちょっと大人っぽく見える。
すみちゃんの顔に、まんべんなく白粉 を塗ってゆく。円を描くように口紅を頬に塗れば、あっという間におてもやんメイクの完成だ。
「……どう?」
「ぶ……っあはははは!」
「……笑ってるけど、次は向日葵の番だけんね」
「はいはい、じゃあお願いね」
交代交代で顔に白粉と口紅を塗ってゆく。屋台の方から、粉もの料理の良い匂いが漂っている。癇癪 を起こして泣く子供の声や、きゃあきゃあはしゃぐ女の子たちの高い声を聞きながら、そうしてわたしたちは準備を終えた。
こそこそと俯 きながら飛び入り参加の受付に行くと、受付のお姉さんはわたしたちの顔を見てふふふと笑い、「気合ばっちりですね! 頑張ってください!」と言ってくれた。恥ずかしくて、二人して「あ、う、はい」なんて情けない返事しかできなかった。
白粉を買う際に一緒に注文した、おそろいの真っ赤な法被を羽織って、飛び入り参加の人たちと同じ列に並ぶ。じろじろと無遠慮に、たくさんの視線がこちらを向く。
あれだけたくさん練習したのに、準備もしたのに、羞恥心 と緊張で心臓がバクバクしてしまって、わたしたちは終始無言だった。派手な法被にメイクを施した陽気な格好をしているというのに、黙りこくって一言もしゃべらない二人組は、傍から見たらきっとものすごく不気味に思えたことだろう。
段々と陽 が傾いて、空が夜の色に染まってゆく。生ぬるい夏の風。色んな食べ物が混ざった不思議な匂いがあたりを漂っている。
提灯 の灯 りがゆらゆら揺れるのを見ながら、わたしはやっと口を開いた。
「ねえ、すみちゃん」
「……ん?」
「……手、繋がん?」
そう言うと、すみちゃんはびっくりしたように目を丸くし、でも次の瞬間には真剣な顔をしながら、
「うん、繋ごう」
と、言った。
白塗り顔で真面目な顔をするすみちゃんが可笑しくて、わたしはようやく笑えた。それから二人、小さな頃よくそうしていたように、ぎゅっと手を繋いだ。総おどりがスタートするまで、そうしていた。
そうこうしている間に地元のアナウンサーが壇上に上がり、挨拶 をはじめた。ドキドキが増してゆく。ややあって、『ただいまより、火の国まつり、おてもやん総おどりを開始いたします!』と高らかな声が聞こえてきたかと思うと、心臓が口から飛び出そうになるほど大きな音で、陽気な音楽が流れだした。
歓声が上がる。笑い声が響いている。
五千人もの人の波が、いっせいに動きだす。
いつの間にか、胸のドキドキは落ち着いていた。
団体参加の人たちを筆頭に、列は動きだす。わたしが昔見たような、美しい浴衣を身に纏った女性たち。いかにもベテランっぽい、法被を着たおじさんおばさん。好きなキャラクターの仮装をした小さな子供。恥ずかしそうに小さく踊る人、周りを見ながら見よう見まねで踊る人、きびきびと見事な動きを見せる人。年齢も装いも動きも人それぞれだ。
周囲の人たちに負けじと、わたしたちも練習どおりに踊りだした。
♪おてもやん
あんたこの頃嫁入りしたではないかいな
嫁入りしたこつぁしたばってん
ご亭どんがグジャッペだるけん
まぁだ盃はせんだった
村役 鳶役 肝煎 りどん
あん人たちのおらすけんで
あとはどうなっときゃあなろたい
川端町っつぁん きゃぁめぐろ
春日ぼうぶらどんたちゃ
尻ひっぴゃぁて花盛り花盛り
ピーチクパーチク雲雀の子
げんばく茄子のいがいがどん
沿道から、きゃははは、と嘲 るような声が聞こえたけれど、全然気にならない。飛び入り参加者のうち、多くは観光客だったようで、その動きはてんでばらばらだ。でも、そのばらばらさ加減が面白い。みんながみんな、今日を楽しんで、好きに踊り、好きに笑っている。
わたしたちは段々楽しくなってきて、時折沿道に向かって手を振ったりしながら順路を進んだ。光もののおもちゃを手にする子供。仲良さそうに腕を組むカップル。にこにこと嬉しそうに笑うおじいさんおばあさん。知らない人たちがわたしたちを見て笑っている。わたしたちに手を振っている。
正調おてもやんとサンバおてもやんが交互に響く、夏の熊本の夜は、火の国という名にふさわしいほど人々の熱気に包まれていた。むせ返りそうなくらいのその熱に、空気に、わたしもすみちゃんもいつの間にかすっかり溶け込み、周囲と一体化していく。
色とりどりの提灯や、屋台からの匂い、子供の笑い声、カメラのシャッター音、スピーカーから響くアナウンサーの実況中継、そしてそれらすべてを見下ろす、お堀に囲まれた大きな大きな熊本城……。
ダラダラと汗をかきながら無我夢中で踊っていると、人込みの中に、不機嫌そうな顔をした小さな女の子を見つけた。バチッ、と目が合う。その子は、わたしとすみちゃんの顔を見ると、たちまち可笑しそうにふふふと笑って、
「ママ、見て、おてもやん!」
と、言った。
*
夏休みはあっという間に終わった。本当に、瞬きの間というかんじだった。
「向日葵、おはよ」
「おはよ、すみちゃん。久しぶり!」
熊本駅の構内で電車を待つわたしに、すみちゃんが声をかけてきた。小さな顔を覆いつくすような太い黒縁の眼鏡がトレードマーク――だったのは、夏休みに入る前までの話。
「コンタクトの調子、どがん? 慣れた?」
「うーん、まだいまいち慣れないかも。夏休みデビューとか言われたら、どうしよう……」
「よかたい、似合うんだし。……オホン、ちなみにわたしも一つ、夏休みデビューをしました」
「えっ、なになに?」
「なんと、クーラーをつけっぱなしで寝る許可が出ました!」
「……へー」
「うわっ、反応うすっ」
あはは、と二人して笑いながら、電車に乗り込む。八時十分発の各駅停車。窓の外には、相変わらず抜けるような青空が広がっている。暑さはまだまだ続きそうだ。
学校の最寄り駅で降りて、同じ制服を着た人たちと一緒に坂を上る。おはよーっ、久しぶり、てか焼けた? はいこれ、お土産! なんてそんな風に、きゃあきゃあと楽しそうな声があちこちから響いている。そうこうしている間にようやっと校舎にたどり着いた。
教室は、クーラーがきいていて涼しかった。クラスメートの何人かに挨拶をして席に着く。夏の間中部活三昧で、真っ黒に日焼けした人。バイトしてお金を稼ぎまくったと誇らしげな人。いかにも外国のお菓子っぽい、カラフルなお土産を配る人。みんなそれぞれ、この夏を満喫したみたいだ。
わたしたちは結局あの日、総おどりで賞をとることはできなかった。
まあ、当然といえば当然だ。よくよく聞いてみれば、飛び入り参加者が賞をとったことは、過去に一度もないらしい。当日、団体参加者の統率のとれた踊りを目にした瞬間、わたしたちは顔を見合わせ「こら無理たい」と笑った。
金賞をとったのは、どこかの銀行のグループだった。銀賞はやっぱり、どこかの高校の同窓会グループ。銅賞はなんと、リオのカーニバルよろしく、派手なサンバの衣装に身を包んだ外国人のグループだった。
わたしたちなりに精一杯目立とうと思ってやってみせたおてもやんメイクは、五千人の参加者の中にポイッと放り込まれてしまえば、なんてことない、全然目立たない存在だった。でも、べつにがっかりはしなかった。
知らない人たちと一緒に無我夢中で踊って、疲れてへとへとになって、踊りが終わった後、わたしたちは二人してしばらく立ち上がれなかった。顔のメイクはどろどろに溶けてみっともなかったので、タオルで拭ってすぐに落とした。
高揚感に包まれながら目の前を通りすぎる、総おどりに参加した人たちの波。そういう景色を、わたしはしばらくぼうっと眺めた。すみちゃんも何も言わなかった。二人でただ、その様子をじっと眺めた。
「来年も出ようよ」
空 になったラムネの瓶を弄 びながら、すみちゃんが言った。中に入った空色のビー玉が、カラカラと小さな音をたてる。
「うん」
やっぱりカラカラと音をたてながら、わたしはそう返事をした。
その日、家に帰ってなんとか風呂に入り、火照 った体を冷ますためにクーラーをガンガンにつけ、そのまま泥のように眠りについた。でも、小さな頃のようにわたしがお腹を壊すことはなかった。
「麦、おはよー」
麦ちゃんが教室に入ってきた途端、教室内は騒がしくなった。みんな、人気者の麦ちゃんがどんな夏を過ごしたのか、興味があるのだ。
「ねえ、インスタ見たよ! あのかき氷屋さん、並ぶのによく入れたね!」
「熊本城の写真、超バズってたでしょ」
「このお店って、アーケード通りに新しくできたやつ!?」
麦ちゃんは自分に浴びせられる言葉の一つ一つににっこり笑って「そうそう、一時間も並んだとよ」「たまたま良い感じの夕焼けが出とったったいね」「そう! 気合入れて開店初日に行ったったい!」なんて応じている。
「でもさ……なんかちょっと、これだけ浮いとるよね」
笑いを堪 えるようにしながら、一人の女の子が麦ちゃんに言った。スマホの画面をみんなに見せるようにしながら。ややあって、周りにいた女の子たちは、あはは、と笑い声を上げだした。なんだろうかと疑問に思っていると、わたしの前の席でスマホを弄 っていたすみちゃんが「……えっ!?」と小さな声で悲鳴を上げた。
「え、そう? まさに熊本! ってかんじで、あたしはいいね思ったんだけど……」
麦ちゃんの声が、教室に響く。
ゆっくりとこちらを振り向いたすみちゃんが、スマホの画面を見せてきた。「mugisuke」という名前のそのアカウントは、間違いなく麦ちゃんのものだ。
そしてそのアカウントは、お洒落 なお店や美しい景色やおいしそうなご飯の中で一枚だけ、風変わりな写真を投稿していた。
それは、派手な法被を着て、奇妙な白塗りに真っ赤なほっぺの妙ちくりんな二人組が、手を繋いで滅茶苦茶な踊りを踊っている写真だった。ちょうど逆光になっているおかげで目元こそよく見えないが、二人とも口を大きく開けて、大笑いしていることは窺える。
そしてその投稿には、『おてもやんフォトコンテスト』のハッシュタグがつけられていた。
唖然 とするわたしたちにトドメを刺すかのように、「ちなみに~!」と誇らしげな声が響く。
「昨日連絡があって、その写真、フォトコンテストでグランプリ取ったとよ。イエイ!」
えっ、と驚いたような声が上がる。もちろん、わたしたちも驚いた。先ほどまで嘲るように笑っていた女の子たちは、手のひらを返したように「マジ!? すご!」「さっすが麦!」なんて言っている。そうこうしているうちに先生がやってきて、朝のホームルームがはじまった。
どきどきしながら先生の話を聞いていると、前に座るすみちゃんの耳が赤く染まっていることに気が付いた。どんな顔をしているのか、目に浮かぶようだ。きっとおてもやんも顔負けなくらい、顔中真っ赤に染まっていることだろう。
わたしはなんだか可笑しくて、あのうだるような夏の夜を思い出しながら、上履きで床をたん、たん、たん、と叩いた。
(了)
<本作品のモチーフにしたお話・文化>
民謡「おてもやん」
<取材協力(敬称略)>
火の国まつり運営委員会
*この物語はフィクションです