コラム・タイColumn Thailand
タイのショートフィルムの状況:ショートフィルムを制作する腕のいい学生が増加、内容のバリエーションに難あり-3
・映画を学ぶ学生が映画産業への足がかりを得る機会
上述のとおり、タイの映画市場は成長市場というより停滞しているため、タイの映画産業において映像制作者は激しい競争にさらされています。しかしながら、数は多くありませんが、映画を学ぶ学生が映画産業において役割を果たせる機会やルートも残されています。
映画を学ぶ学生の多くは卒業後、テレビコマーシャルやバイラル動画、テレビシリーズ、テレビドラマなどを作る制作会社で働くことが分かっています。彼らの仕事のほとんどは、ポストプロダクションに関係するものです。一方で、映画産業に携われる映画学の学生は通常、映画業界の人々に自分の能力を示すツールとしてショートフィルムを使います。また、映画産業関連会社のインターンシップ生になるというのも、映画界に知り合いを作るもう1つの道です。業界の人がインターンシップ中に学生たちの関心事や情熱やポテンシャルを見ることができるため、インターンシップ終了後に一緒に働かないかと学生に声をかけることがあります。
映画に関するコースを設置している大学の多くが、知識や経験を学生に話してもらうため、映画産業でキャリアを築いているプロを招いています。1学期分の全講義を行う講師として招かれる人もいます。これもまた、学生が業界人の知り合いを作り、自分の能力をアピールできる別のルートです。
たとえば、チュラーロンコーン大学コミュニケーションアーツ学部は、タイ最大の映画事業会社GTH(現在はGDH559)の著名なタイ人映画監督チラ・マリクン氏を客員教員に招きました。マリクン氏が1994年にコミュニケーションアーツ学部で教壇に立って以来、彼は“Kang Jor”という映画祭を創始し、そこで学生がショートフィルムを上映できるようにしました。Kang Jorでは、従来のように学生たち同士だけでなく、学生以外の人々も学生の映画を見られるようにしています。Kang Jorの映画祭は23年間にわたり継続的に開催されています。マリクン氏は自身の会社を設立し、自分で制作した長編映画を監督しただけでなく、多くの商業映画のプロデューサーも務めました。2003年には、『フェーンチャン ぼくの恋人』(2003)という映画で、自分が教える学生たちに脚本を書き監督するよう指示しました。この映画は、子ども時代のノスタルジックな人間関係を振り返る物語です。この映画の主要登場人物は全員子どもで、子どもの映画としてタイで非常に多くの収益を上げた初めての映画となりました。この映画では総勢6人が監督を務め、その6人の監督は現在もタイの映画産業で活躍しています。マリクン氏はたった1つの仕事でタイの映画産業のために6人の監督または映画制作者を育てた、と言っても間違いではないはずです。さらにマリクン氏は、Kang jorのショートフィルムについてコメントをするよう招かれると必ず招待に応じるため、それが彼にとっても、映画業界に入れる素質のある映画学の学生に会ういい機会となっており、彼はそうした学生に対して自分の会社で働くよう打診したり勧誘したりしてもいます。マリクン氏の監督作品には、『メコン・フルムーン・パーティ』(2002)、『The Tin Mine』(2005)、『セブン・サムシング』(2012)などがあります。
『フェーンチャン ぼくの恋人』(2003)
タイの映画産業はあまり大きく成長していませんが、映画会社からの注目を集めるような卓越した能力を持つ人々は、映像制作の過程に加わるチャンスを獲得しています。ショートフィルムは、映画を学ぶ学生にとって、映画界でのキャリアへの足がかりとして道を切り開けるツールの1つなのです。
20年以上にわたって映画学を教える教員を務めてきて、私は、学生グループでもそれ以外の一般人グループでも、ショートフィルム制作者が共有し、協力し、支え合う雰囲気が、よい作品づくりに貢献してきたと感じます。競争や、自分自身もしくは自分の学校を有名にしたいという意図から、よい作品が作られるのではないのです。2016年に行われた第23回Kang Jorの最新映画では、チュラーロンコーン大学の学生が作ったショートフィルムで、エンドクレジットに出た制作チームの中に、制作を助けた他大学の学生の名前が入っていました。組織をまたいで協力するという行為は、促進され支援されるべきです。こうした映画学の学生たちは、卒業後は同じ業界に入ることになり、顔見知りになって助け合う必要があるからです。
こうした学生たちがインターンシップの最中に知り合うこともあり、そうすると彼らが卒業制作を行うことになった時、別の学校に通う友人に手助けを依頼します。というのも、同じ学校の友人は、同時期にやはりそれぞれ自分のショートフィルムを作らなくてはならないからです。他校の友人に制作クルーに加わってもらうことで、その映画をKang Jorで上映している間に他校の友人たちも見に来ます。そのような事情で、第23回Kang Jorフェスティバルでは、週末の上映を見に来た観客は500人から800人へと大幅に増加しました。
第23回Kang Jor:チュラーロンコーン大学の学生によるショートフィルムの上映
映画を学ぶ学生たちが共有を大切にするという雰囲気とはまた別に、メジャーか自主制作かにかかわらず映画界全般にわたり、ショートフィルムの制作者を積極的に支援する人々のグループがあります。かつては自身もショートフィルムの制作者で、映画祭のコンペティションに自作の映画を応募して、今は映画界で名前がよく知られるようになった人々です。名前を挙げると、たとえば以下です。
アノーチャ・スウィッチャコーンポン氏。『Mundane Story』(2010)という自主制作映画で監督を務めました。Electric Eel Filmsの創設者で、映画監督から映画プロデューサーに転向した女性です。完パケを作ったり、国際的なコンペティション参加への機会を得る方法を見つけたりして、才能ある新人監督を支援してきました。講義をしたりショートフィルムの審査員を務めたりするなど、何か中心的な役割を果たす機会があればいつでも、喜んで引き受けています。
アーティット・アッサラット氏。自主制作映画の監督で、『ワンダフル・タウン』の監督を務め、『Eternity』(2010)の シヴァロフ・コンサクル氏や、『36』(2012)と『マリー・イズ・ハッピー』(2013)のナワポン・タムロンラタナリット氏など、新人監督による多くの映画でプロデューサーを務めています。アッサラット氏は、釜山国際映画祭で最優秀新人監督賞を、ロッテルダム国際映画祭で最高賞タイガー・アワードをそれぞれ受賞しました。よって、アッサラット氏は、自主制作の映画制作者として成功を収めた人物としてお手本になります。タイで映画を学ぶ学生が、自作のショートフィルムをコンペティションに応募しようと目標にしているフェスティバルである釜山国際映画祭に、コネクションがあります。
2014年、アッサラット氏は第21回Kang Jorフェスティバルにコメンテーターとして参加しました。彼は、ジラッサヤ-・ウォンスティン氏による『今月のあの日』(2014)というショートフィルムが、国際映画祭のコンペティションで勝つ可能性があると見抜き、この映画を釜山で上映するための支援を行いました。この映画は後日、タイ短編映画・ビデオ映画祭で若手の最高作品賞である白象賞を受賞したのち、アジアとヨーロッパで開催される数多くの映画祭で上映作品に選ばれました。これはまさに、アーティット・アッサラット氏が新人のショートフィルム制作者をいかに支援してきたかを示す明らかな例です。
ジラッサヤ-・ウォンスティン氏の『今月のあの日』(2014)
リー・チャータメーティクン氏。映画編集者・サウンドミキサー・自主制作映画監督で、『ブリスフリー・ユアーズ』(2002)、『トロピカル・マラディ』(2004)、『世紀の光』(2006)、『ブンミおじさんの森』(2010)といった映画で、アピチャッポン・ウィーラセタクン氏と共に仕事をしたことがあります。また、多くの優れたタイ人監督の作品で映画編集も担当しています。チャータメーティクン氏は、数多くの学校で客員教員としてポストプロダクションを教えています。彼の授業は、ポストプロダクションについて系統だった知識を学生に与えるもので、よりプロフェッショナルなショートフィルム制作に寄与しています。
現在、こうした人々が共に働き、支え合っています。彼らは、高い将来性があるものの制作予算がまだ不足していたり低予算で制作されたりする映画が、映画制作の資金を獲得できるようにするため、そして国内・国外双方でのさまざまなコンペティションで上映する機会を得られるようにするため、指南役を務めています。彼らはまた、ショートフィルムの制作者に対し、全力を注いで自分のショートフィルムを制作するために、自分を追い込む情熱を持つよう励ましています。
さまざまな学校の学生たちが共有し、協力し、支え合う雰囲気は、映画産業にとって有益です。2016年のショートショートフィルムフェスティバルで開催された東南アジアのショートフィルムについてのシンポジウムで、我々は、東南アジアにおけるショートフィルムとドキュメンタリーの状況をよりよく知ることができました。我々は、意見を共有したり情報を交換したり、さらには講師を招待したり講義を行ったりワークショップを実施したりして、互いをもっとよく知ることができると、私は本気で思っています。特に、将来のショートフィルム制作の戦力となる若者は、彼ら自身のみならず、近隣の東南アジア諸国の歴史的・文化的・政治的な事情について、知識を得て理解を深めるために、もっと交流すべきです。そうすることで我々は、ショートフィルムに新たな期待を持てるでしょう。
タイのショートフィルムの状況:ショートフィルムを制作する腕のいい学生が増加、内容のバリエーションに難あり-2
学生によるショートフィルムの数
成人によるショートフィルム 学生によるショートフィルム
上に示したグラフのとおり、学生によるショートフィルムの数は多いのですが、これほどまでに多いのは大学を卒業するためにショートフィルムの制作が必修なためで、驚くべきことではありません。そして学生たちは、タイのショートフィルムのコンペティションに参加するよう、教員から支援と励ましを受けてもいます。
ところが、成人によるショートフィルムは事情が違います。成人が制作するショートフィルムの質は学生のそれとは全く異なるものです。質に影響する主な要素は、機材の支援の有無です。学生たちは大学の機材が使えますが、学生以外の制作者は機材を自分で借りるか買うかしなくてはならず、そのため映画にお金がかかります。学生以外の映像制作者は、予算が限られているので、制作コストを減らすという決断を迫られ、結果的に映画の質も低下します。さらに、映像制作の知識を持たない学生以外の映像制作者は、映画を制作するためのテクニックにあまり頓着せず、ストーリーのみに気を配ります。したがって、プロダクションバリューという観点から考えると、学生のショートフィルムの方がはるかに見栄えはいいものの彼らが扱う話題は非常に限られており、その一方で内容的価値という観点から考えると、学生以外が制作したショートフィルムの方が、時事問題についてよく考えられており彼らの志を表現できているため、より面白いのです。
タイのショートフィルムの隆盛
長編映画産業が停滞して見えるのとは対照的に、ショートフィルムの制作は年々大きく成長しています。Thai Film Foundation(タイ映画基金)とThai Film Archive(タイ・フィルムアーカイブ)が、The Thai Short Film and Video Festival(タイ短編映画・ビデオ映画祭)を20年にわたり継続的に年1回開催しているおかげで、ショートフィルムの制作は活発です。5年間の記録によれば、参加人数は年々増えています。1つ起きつつある現象として、映画を公開することで新しい観衆と映画ファン集団(教員、映画評論家、学生などが含まれ、プロとアマチュアの両方がいる)が生まれ、それで観客が毎年増え続けている、ということがあります(詳細は以下4)に記述)。この集団は、自分たちのコメントを他の人に拡散し、より多くの人々に短編映画祭に参加して映画を見るよう勧めています。これが、タイのショートフィルムを成長させている主な理由です。しかし、タイのショートフィルムの成長に大きく寄与している要素はこれだけでなく、複数あります。その要素には、以下のようなものがあります。
1) 公立・私立大学での映画学コースの増加
映像制作に焦点を当てたコースを開設する私立・公立大学が増えていますが、映画学校を設立するのではなく、コミュニケーションアーツ学部の映画専攻に映像制作のコースを設置するのが常です。建築学部の映画・デジタルメディア専攻のこともよくあります。映画を学ぶ学生の数は、年1000~1200人程度です(以下グラフを参照)。映画を学ぶ学生は、卒業制作としてショートフィルムを制作することが必修であり、これは各大学の指示によって個人で行われることもグループで行われることもあります。
公立大学で映画を学ぶ学生
私立大学で映画を学ぶ学生
2) デジタル装置の発達
デジタル装置の技術が発達したことで、映画撮影における主な機材であるカメラのコストが下がりました。機材の値段が下がる一方で、誰もが映像制作機材を手に入れられるようになり、デジタル装置を使うことでよりよい録画品質を得やすくなりました。現在は、映像や動画をスマートフォンで制作することが可能です。
ここで記しておくべき重要な点は、学生のショートフィルムの制作品質は、昔の学生たちの作品や学生以外の成人が制作したショートフィルムと比べて、グレードが高く発展しているという点です。これは、各学術機関が、最新版ではないにしても標準的な機材を準備し、卒業制作のために学生たちが使えるようにしていることによります。ところが、映画を学ぶ学生以外の映像制作者は、これらの機材を手に入れるためには、通常価格を支払わなければなりません。学生であれば、もし大学の機材が使えなくても、10パーセント程度割引された価格でレンタルができます。ある学生ショートフィルム委員会がかつて、学生のショートフィルムを審査する上で、撮影が完璧であるかという点は考慮すべき基準ではないかもしれない、と発言したことがあります。しかし、それから4~5年がたち、その委員会は前言を取り消さなくてはなりません。
学生によるショートフィルム制作の舞台裏
3) ソーシャルメディアにより映像制作の知識入手が容易に
映像制作に関する広範な情報を提供するソーシャルメディアが増加していることで、学校以外でも知識を手に入れやすくなっています。一般の人や、小学生・中学生までもが、オンラインメディアで映像制作について学ぶことができます。YouTubeのショートフィルムやミュージックビデオは、世界中の様々なところから投稿されており、映像制作に関心があり映像を参考にしたり見つけたいいショットを模倣したりしたい人々から注目を集めるような映像があります。ソーシャルメディアの拡大によって学校以外でも学ぶことが可能になったことで、ショートフィルムの数が増え、撮影の質も向上しています。
4) 20年間にわたり継続的に年1回開催されているショートフィルムとビデオのコンペティション
チャリダー・ウアバムルンチット氏によるタイ映画基金が、20年(1997~2016年)にわたって継続的に開催されているショートフィルムのコンペティションにおいて重要な役割を果たしています。タイ映画基金が開催した第1回目のタイ短編映画・ビデオ映画祭の目的の一部を、以下に引用します。
映像制作者といえば、常に“プロ”という条件に限定されており、これはつまり、経験豊富な制作チームと人気のある男優/女優を使い、一般人にとっては夢のような予算を投入しなければ制作を実現できないことを意味する。実際は、さほど多額ではない予算で自身の夢である制作を実現する人や、クリエイティブな表現を行う人がいる。こうした映像制作者は、粛々と自分たちの作品を制作し、“自主制作映画”に関心のある人々のグループや大学で映画を学ぶ学生のグループに自作映画を見せることがよくある。不幸にも、こうした映画が支援を得たり宣伝されたりすることはあまりない。
タイのショートフィルムのコンペティションが初めて行われた1997年には、映画は30本だけでしたが、今では500本強あります。この数字が、数という点では、タイのショートフィルムの成長を示すいい指標になっています。タイの短編映画祭のコンペティション部門では、以下のようにいくつものカテゴリーに分けて賞が授与されています。タイの学生・生徒に授与されるWhite Elephant Awards(白象賞)、タイのドキュメンタリー作品に授与されるDuke Award、アニメーション作品に授与されるPayut Ngaokrachang Award、一般人が制作したタイのショートフィルムに授与されるR.D. Pestonji Awardなどです。
タイのショートフィルムのコンペティションは、毎年8月に開催されています。受賞映画は、タイ映画基金により国際的な短編映画祭への出品が推薦され、ショートフィルムのコンペティションに応募された作品はタイ・フィルムアーカイブに収蔵されます。タイのショートフィルムが、国際的な短編映画祭のコンペティション部門での上映作品に選ばれれば、映像制作者本人と彼らが学んだ学校は有名になります。
5) 政府機関および非政府組織が開催するショートフィルムのコンペティションが増加
ショートフィルムは、商品や社会貢献活動のマーケティング戦略の1つとなりました。政府機関や非営利組織は、腐敗撲滅やHIVや省エネルギーなどのキャンペーンといった社会問題に関する情報や考えを伝える手段として、よくショートフィルムを使います。社会貢献活動では若者がターゲットグループとされます。したがって、社会貢献活動用のショートフィルムでコンペティションが行われる場合は、その目的は若者とコミュニケーションをとることです。そういったコンペティションの支援者は、大半が制作費に予算をつけ、褒賞も与えます。通常彼らは、実施したいキャンペーンに関するワークショップ講習を開催します。その後、脚本が選ばれ、それから映像制作者は映像を作る予算を受け取ります。このコンペティションの勝者は褒賞をもらい、受賞作の映画はテレビで放映されたり、DVDが作られて一般に配布されたり学校での教材になったりします。
6) ショートフィルムに関するワークショップ、講習、セミナー
ショートフィルムに関するワークショップ、講習、上級者向けクラスが開催されており、そこで中心的な役割を果たす人物は国内・国外双方の映画監督、プロデューサー、脚本家、編集者、映画評論家などです。こうしたイベントの主催者は、文化省、観光・スポーツ省、タイ映画基金などの政府機関や、映像制作に関係のある民間機関です。たとえば2010年には、“Talk on Learning Direction on Film in Thailand(タイで映画を監督する方法を学ぶことについての講演)”という、ショートフィルムに関する大きなイベントがありましたが、これはアピチャッポン・ウィーラセタクン氏が音頭をとって実施され、ペンエーグ・ラッタナルアーン氏など他の映画監督も参加しました。数多くの学校から学生も参加して、自身の意見を発表しました。アイデアや意見を共有したり、成功を収めた経験豊かな監督から話を聞いたりするセミナーも行われました。このイベントは、学びを促すいい雰囲気を作り出し、学生たちの視野を広げました。これはまさに、将来、映画産業へとステップアップするつもりの若い人々を育てる方法です。
7) ショートフィルムを公開するルートの増加
ショートフィルムを披露するルートが増えています。教育機関、ギャラリー、テレビでも露出があります。現在、Thai PBSチャンネル(タイの公共放送)では『Talk to Film(映画に話しかける)』という番組を放送しており、この番組では特定の問題に関するショートフィルムや短編ドキュメンタリーを放映します。この番組は、映画を見ることで人々の知性が磨かれると考えているため、映画を流したあとに考察も入れており、それがさらにそれぞれの問題について人々が知見を深めることにつながっています。たとえば、LGBTのショートフィルムを上映すれば、番組司会者が性差別問題の専門家やフェミニストにさらにインタビューを行う、といった具合です。
他にも『Nhang Pa Pai(映画の流れに乗れ)』という番組があり、これは、ショートフィルムの監督2人が世界中の映画祭を訪れて回る紀行ドキュメンタリーです。この番組は半ばリアリティー番組の形式をとっており、彼らが旅の途中で発見したり観察したりしたことを見て視聴者が楽しめるようになっています。この番組は、この2人のように、成功を目指して大胆な夢を持ち、思いきって冒険するように視聴者を刺激することを目的としています。
テレビで放映されるショートフィルムに選ばれると、人々はそのショートフィルムの監督をよりよく知ることになり、一般の観衆がショートフィルムを見る機会が増えます。というのも、ショートフィルムは通常あまり見ることができないものですが、それはほとんどの場合、ショートフィルムはバンコクでしか上映されないからです。ショートフィルムが持ち出され、チェンマイ、コンケン、ウドンタニーなど他県の都市にある大学で上映される機会は、ごくたまにしかありません。
また、首都バンコクでは数多くの映画祭が開催されており、学生や一般の観衆が様々な国や文化のもとで制作された映画を見て視野を広げられる機会となっています。上映後に時折、そうした映画の監督が質疑応答セッションに招待されることがあり、そこで観客はそうした映画監督たちの制作への思いや制作の背景について知る機会を得られます。それが、観客がさらに映画鑑賞をすることにつながります。バンコクで開催されている映画祭には、たとえばWorld Film Festival of BangkokやSalaya International Documentary Film Festival、それから、European Union Film Festival、German Film Week、Italian Film Festival、Alliance FrançaiseによるLa Fêteなど、バンコクにある各国の大使館などが自らの文化を広めるために開催する映画祭があります。
・タイのショートフィルムが抱える課題
上述のように、タイのショートフィルムを成長させるための土壌となる要素は複数ありますが、成長には勢いがありません。タイのショートフィルムが克服すべき弱みや課題はいまだに残っています。弱みとは以下のようなものです。
- 学生が制作するショートフィルムの内容にはあまり迫力がなく、バリエーションに欠ける。この問題の主な原因は以下のとおり。
1.1 タイの学生およびタイの教育制度の性質。大学に入って勉強するタイの学生といえば、大半が中流の核家族で育っています。彼らは非常に大事に育てられています。したがって、彼らがショートフィルムを制作すべき時になって直面する大きな問題は、いろいろな経験をしてこなかったために伝えるべきストーリーがない、ということです。彼らの頭に浮かぶ物語といえば、恋愛や家族関係などの内的な経験や考えなどから生じるものしかないのです。加えて、ほとんどの親は、子どもに人生の苦難を味わわせたくないため、過保護に育てています。親がこのように子どもを育てていることが、プロとしての技術を身につけようという熱意の乏しさにつながっています。
1.2 彼らの映画学に関する知識が不十分。多くの教育機関に映画関連のコースが設置されていますが、コースの重点目標は労働市場に向けて卒業生を輩出することであるため、映像の制作を最も重視しています。したがって、予算の多くが制作機材に割かれています。その一方で、タイにはあまり映画の研究が行われていません。映画学の修士課程を開設した大学もありましたが、たとえばチュラーロンコーン大学などは卒業生を3度輩出しただけでコースを閉鎖せざるを得なくなっています。しかしながら、タイ映画基金は、タイにおける映画についての新しい知識を補強するため、研究に対して学識を付与するという重要な学術的使命を負っています。学生は、そうした映画学の知識をつけることで、もっと突っ込んで映画を分析したり解釈したりできるという意識を育てるでしょう。その知識はまた、人生や人間についての理解をも深めると思われ、彼らがショートフィルムにより深みを持たせるストーリーを思いつける力を育むことにつながるでしょう。
- ショートフィルムの配給で得られる収入はまだ少ない
タイのショートフィルムは主に自主上映です。ショートフィルムを買い上げて配給する配給会社はまれなため、ショートフィルムを作ることで生計を立てられる映像制作者はほとんどいません。ショートフィルムを制作する情熱のある人の大半は、医師、コピーライター、建築士など、さまざまな分野で主収入を得て生計を立てています。こうした人々が、十分な貯金をためて他人と分かち合いたい内容や問題が出てきた場合に、映画を作り始めるのです。よって、一般の人が作るショートフィルムの内容はたいてい、学生のそれと異なります。こうした映像制作者はアイデアが学生より成熟していて、生活や仕事を通して比較的いろいろな経験をしているからです。しかし、ショートフィルムが1本も売れていないわけではありません。たとえばアヌチャー・ブンヤワッタナ氏が制作した『Down the River』(2004)という映画は、アメリカの配給会社が単独で配給するために権利を買いました。
タイのショートフィルムの状況:ショートフィルムを制作する腕のいい学生が増加、内容のバリエーションに難あり-1
サライティップ・タルプーム
・タイ映画の状況についての概要
タイのショートフィルム制作者をおおまかに分類すると、主に2つのグループがあることが分かります。すなわち、映画を学ぶ学生のグループと、それ以外の成人のグループです。後者には、正規の映画制作の教育を受けたり映画制作の分野で働いたりした経験のあるグループと、学校で映像制作の訓練を受けていないグループがいます。しかし、人々の状況について述べる前に、まずタイ映画の全般的な状況から話を始めたいと思います。以下は、長編映画で、タイ国内で制作されたものと外国で制作され輸入されたものの1年間の記録を比較した表とグラフです。
年 タイ映画の数 外国映画の数
タイ映画 外国映画
タイ映画と外国映画の比率
タイ映画 外国映画の比率
上の表から分かるように、タイ映画の平均は58本で、外国映画の平均は217本です。2015年のタイにおける国内映画と外国映画の市場規模比を見ると、その格差が分かります。タイ映画が3300万米ドルで外国映画が1億米ドル、比率にすると前者が25パーセントで後者が75パーセントです。外国映画の市場シェアは、タイ映画の3倍もあるのです。タイの長編映画の市場規模はあまり大きくなく、むしろ停滞していることは、この数字から明らかです。
25%/3300万ドル
75%/1億ドル
タイ映画 外国映画
タイの映画をこのような現状に陥れている要因は何でしょうか? 映画産業の解説者や、一部の映画制作者・映画学校関係者・映画事業に関心のある人々の所見では、タイの映画産業には以下のような問題があるとされます。
- タイの映画産業を支援する確固とした政策の欠如
公的にも民間においても、タイの映画産業を支援する確固たる政策や措置がありません。タイの映画制作者は、経済的な援助を見つけられないという困難に突き当たっています。タイで長編映画を制作することには、いまだに“ハイリスクなビジネス”というレッテルが貼られていて、貸し付けの利用も資金調達もできないからです。
- 制作物から安定した収入を得られるスタジオはごく少数
今なお生き残って作品から安定した収入を得られている主なスタジオは、5カ所(GTH、Sahamongkol Film International、Five Star Production、Phranakorn Film、M39)しかありません。その5スタジオの作品といえば商業映画で、これらは一般大衆に見せることを目的としています。したがって、タイ映画のジャンルにはバリエーションがありません。こうした理由により、映画を学んで学校を卒業した学生を受け入れる労働市場の規模は、年々縮小しています。
- 映画の配給・公開の独占
映画公開事業は、Major Cineplex GroupとSF Cinema Cityという主要2社が独占しています。このことが、タイの映画産業にさらなる問題を引き起こしています。この2社は、各映画の上映回数について口をはさむ力を持っています。彼らは、高い収益が期待できる映画を優遇し、収益の低い映画の上映回数を大きく減らしています。したがって、一般向けでない映画では、主要スタジオも自主制作会社も市場機会を得られないという困難に直面しています。
- 観客の好み
タイの映画産業において作品のバリエーションが増えず、成長が抑えられている要因として1つ顕著なのは、タイの観客の好みです。タイの観客は特定のジャンルの作品、とりわけコメディーと幽霊の映画を見ることを好みます。たとえば、GTH Studioによる『愛しのゴースト』(2013)の国内での興行収入は、3300万米ドルを超えました。大衆が興味を持つため、映画の質があまり高くない他のコメディー映画も恩恵を受けています。タイの観衆の多くは、文化として映画を現実逃避と位置づけているため、知的な素材よりもエンターテインメント性の高い媒体を好むのです。大衆の好みが動かないため、タイの市場規模も固まってしまっています。加えて、タイの商業ベースのスタジオは、新しい市場を開拓したり国際的なコンペティションに推したりできるのにもかかわらず、演劇的な映画にはほとんど注目しません。資本主義的な主流によって制作の機会が左右され、タイの国内映画制作の市場は現在、深刻なまでに停滞しています。
・映画制作者同士の激しい競争
上述のように、タイの長編映画の市場規模は、毎年卒業する映画学の学部生数に比べると成長していません。脚本家、映画マネージメント、カメラワーク、ポストプロダクションを含めた映画産業に関われるのは、彼らのうちたったの5パーセントです。これに加えて、時折メディア産業で仕事をするフリーランスも一部いるほか、映像制作も映像と関係のない制作も行う自前の制作会社を持つ人もいます。
映画の公開やコンペティションは、学生が自分の才能を世に示すいいルートとなっているようで、映画産業への足がかりを得るための近道となっています。映画を学ぶ学生の多くが、一般に公開するため、自らの可能性を発揮してショートフィルムを制作しようと非常に頑張って努力してきました。さらに、学生の映像制作能力を育成するために、多くの大学がプロの映像制作スタッフを客員教員として雇用しています。このように、こうした学生たちは、彼らの能力と才能を映画業界の人々に直接見せる機会があるのです。映画を学ぶ学生たちが適切な支援と機会を得れば得るほど、学生でない映像制作者たちは映画産業でチャンスをつかむのが難しくなります。というのも、業界にあるポジションの多くが、こうした学生たちのためにすでに確保された格好になっているからです。
商業映画では、物語形式で三幕構成になっているものの方が好まれます。これが、映像制作者のクリエイティビティと映画のバリエーションを制限している主な要因です。というのも、映画を学んだのちに商業映画を手がけたい学生たちは、旧来の構成で自分たちの映像を制作するからです。ドキュメンタリーや従来の形にとらわれない構成は、主流のプロダクションや観衆の興味を引かないため、あまり人気がありません。しかしながら、従来の形にとらわれずに、自主制作の映画制作会社への足がかりを得る映像制作者も一部います。ただしこれは非常に少数です。
・タイのショートフィルムの現状
ここからは、タイのショートフィルムの状況と、タイの映画産業におけるその位置づけについて探りたいと思います。先に述べたとおり、ショートフィルム制作に関与する者は主に2者います。ショートフィルム制作の状況は、タイの映画全般のそれとは多少異なります。
- 学生よるショートフィルム。ほとんどの作品は、映画を学ぶ18歳から22歳までの学部生によるものです。十代の若者もいるので、内容は大半が青年期の悩み、特に家族との絆や衝突、友情、恋愛といった人間関係の心配事に関わるものです。いずれも学生たちには手を出しやすい主題です。
- 学生以外の成人によるショートフィルム。このグループに入る映像制作者のうち、一部は正規の映像制作の教育を受けたり映像制作の分野で働いたりしたことがあり、残りは映像に関する訓練を学校で受けていないが映像制作に興味がある人々です。彼らは学生と比べて成熟しているため、社会問題、政治問題、現実の社会状況に対する自分自身の意見についてよく考えたり、疑問を呈したり、新しい仮想世界を構築したり、さらには空想を実現したりといった視点でよりよい表現を行うことができます。彼らが制作する映画の内容は、比較的多種多様です。
端的に言って、学生・成人双方によるタイのショートフィルムの大半は、人間関係、社会問題、政治的な変化に対する意見を、個人的な視点から表現したり探求したりするという位置づけであることは明らかです。
タイの映画事情(2/2)
長島文雄
○タイにおける映画の興行
現在、タイの映画館は、ほとんどがシネコン(シネマ・コンプレックス=同一の施設内に複数のスクリーンがある映画館)になっています。資料はないのですが、全体の90%以上はシネコンだと思います。
さて、シネコンが多いのなら「日本と同じでは?」と思うかもしれませんが、その興業形態は全く違うのです。まず、基本的に、作品の公開初日は木曜日です。そして、興業期間は一週間単位となります。また、公開後に、その作品の成績次第で上映されるスクリーン数や回数が毎日変わってくるのです。そうするとどういうことが起きるかというと、その日の朝にならないと、観たい作品のはっきりした上映時間が分からないのです。ですので、作品を観に行く日には、必ずインターネットなどで上映時間を確認しないと後でひどい目に遭ってしまいます。
たとえば、ある作品が某所のシネコンで5スクリーンの全日フル稼働で公開されたとします。しかし、思いのほか成績が悪いと、翌日には3スクリーンでの公開で、しかもその内の2スクリーンは昼間の上映だけなんてことになってしまうのです。ただし、いくら成績の悪い作品でも、基本的には一週間は上映されます。
また、気を付けなければいけないのは、観たい作品が次週(つまり次の木曜日以降)もやっているかどうかは、基本的に事前には分からないのです。慣れてくると、作品が上映されているスクリーン数や上映回数などから、次週も上映されるかどうかだいたい予想がつくようにはなります。ですが、微妙な時は、予想するのは大変に難しいです。時々、「観たい作品があったら、いつまで上映されるか確認すること」とおっしゃる方がいますが、それは、基本的にできません。
そのせいなのでしょうか? タイでは、その作品を本当に観たいと思っている人たちは、公開後一週間以内に観に行きます。大作でも、決して、席が空いたころに観に行こうなどとは思わないのです。通常、公開後一週間で、その作品の最終興行収入の50%以上の数字を上げてしまいます。つまり、人気作でも、第二週目以降は館内がかなりガラガラになってしまうのです。
さて、タイでは映画鑑賞をする条件が日本よりもかなり恵まれています。というのは、都市部に限られますが映画館の数が多いのです。有名ショッピング・モールの最上階には、必ずと言っていいほどシネコンがあります。また、地方都市に多いパターンですが、郊外型のショッピング・モールにも映画館が併設されている場合が多いです。
さらに、これはバンコクなどの大都市に限られますが、作品によっては最終上映開始時間が夜の11時台なのです。ということは、その日の仕事や所用が終わってからでも十分に間に合うのです。まあ、帰宅するのが少々大変ではありますが。これって、とてもすごいことですよね。
○映画が始まると
これは、外国人にとってはとてもうれしいことなのですが、タイの作品でも多くの上映時に英語字幕が付くのです。全体の70%程度には付いていると思います。字幕は作品によって付いているものとそうでないものがあるわけではなく、上映回ごとに変わります。付いているかどうかは、各映画館の上映予定に載っています。また、フィルム上映なのか、デジタル上映なのかも載っています。
日本でも映画の本編上映前に長~いコマーシャルと映画の予告編を見せられることが多いですが、タイはもっと長いです。平均、45分程度でしょうか? ですので、上映開始予定時刻から30分以上経ってから中に入るという人も多いのです。そのコマーシャル等上映時にはタイの王室を称えるフィルムが流されますが、その際には観客全員が起立します。これを知らないで映画館へ入った外国人は、突然座っていた観客が立つのですからとても驚きます。この王室のフィルムが流れると、本編上映までもう少しという感じです。
また、作品が終了すると、観客はすぐに席を立って退室してしまいます。エンド・ロールが始まるとすぐにです。感動のラストであったとしても、その余韻に浸る暇はありません。多くの作品には、エンド・ロール部にメイキング・シーンなどが使われていますが、それも観ようとはしません。それを意識してかどうか分からないのですが、超大ヒット作の「愛しのゴースト」は、エンド・ロールの最後にストーリーの落ちを入れていました。このことはすでに観た人たちが情報として流しましたが、観ないで帰った人も多かったと思います。
愛しのゴースト
タイの映画事情 (1/2)
長島文雄
○日本人が多く訪れる国
毎年、タイへは、多くの日本人ビジネスマンや観光客が訪れます。そんなタイは、敬虔な仏教国です。こんな話を聞いたことがあります。あるタイの仏教寺院へ、「日本の僧侶の息子さんたちの寺院見学ツアーを受け入れてくれないだろうか?」という問い合わせがあったそうです。それを聞いたタイ寺院の僧侶は、「???」となってしまったのです。というのは、タイでは僧侶は結婚できないのです。つまり、僧侶に息子がいるということが理解できなかったのです。まあ、仏門に入る前に、子供を作っていれば別なのですが。タイでは、僧侶が女性に触れること自体許されていません。
○タイ映画ってどんな映画?
さて、そんな国の映画の話題です。日本では、タイ映画が劇場公開されることはほとんどありません。ですので、タイ映画がどのような作品なのかを知っている人も少ないです。では、タイ映画とはどんな作品なのでしょうか? 「タイ映画ってどんな作品をイメージしますか?」と聞くと、一番多い答えは「アクション映画」です。これは、日本で劇場公開された「チョコレート・ファイター(Chocolate)」<2008年>や「マッハ!!!!!!!!!! / Mach(Ong Bak)」<2003年>のイメージがあるからだと思います。少しアジアの映画に詳しい方だと、「ホラー映画ですよね」となります。そう、タイではとてもたくさんのホラー映画が作られていて、ホラー映画大国として有名です。
ですが、それらは正確には違います。タイ映画は、「1にコメディー、2にコメディー、3、4がなくて5にコメディー、6にホラー、7にアクション」という感じです。「ラブ・ストーリー」はちょっと別格です。なにせ、ほとんどの作品にその要素は入っていますので。コメディーというのは純粋なコメディー作品だけではなく、コメディー的要素が入ったホラーやラブ・ストーリーなども含まれます。最近ではやや少なくなってきたものの、以前は全体の9割以上の作品にコメディー的要素が含まれていました。
往年の名作に、日本の映画祭でも上映された「サラシン橋心中(悲恋の橋/Bridge of Love)」<1987年>という作品があります。これは実話を基にしたもので、親に結婚を認めてもらえないカップルが自殺を選ぶというとても悲しい作品なのです。ですが、作品の一番のハイライト・シーンともいえる親族一同が自殺を止めに行くシーンが、完全にコメディー化されているのです。これには、私自身驚きました。最近ではコメディー的要素が全く入っていない作品も珍しくはありませんが、それでも全体の70%くらいは入っていると思います。
タイ映画に多い4大要素は、「コメディー」「オカマさん」「霊」「トイレ・シーン」だといわれています(いや、これは、私が勝手に言っているだけです)。タイ映画を観ていて、オカマさんが多いのはすぐに気付きます。実社会でも多いので、これは当然かもしれません。
そして、霊もたくさんの作品で登場してきます。ですが、ほとんど怖くはありません。というのも、タイには基本的に日本のような妖怪がいません。つまり、霊たちは、人間の姿をしているのです。しかも、タイの特殊メイク技術はまだまだで、ただ顔におしろいを塗っただけというものが多いのです。それに、足もちゃんと付いていますしね。
それから、トイレ・シーンもものすごくたくさん出てきます。もれそうでトイレに駆け込んだかと思うと、大きな音を立てて用を足すのです。しかも、そのシーンを演じるのは、コメディアン系の男優だけでなく人気若手女優もなのです。
(このつづきは2/15に掲載予定)
『マッハ!!!!!!!!!! / Mach』
『チョコレート・ファイター』