Project 3

日本各地のストーリー創作

けっぱれ

「スイカ!」
 悠人と女の子が並んで縁側に座って足をぶらぶらさせ、祖母がよく冷やしてくれたスイカにかぶりつく。果汁で口のまわりがぐっしょりだ。
「塩かける?」
 悠人が女の子を見る。
「かけるとおいしいの?」
「いっぱい甘くなるよ」
「ほんと?」
 スイカに塩を軽く振ると、女の子は声を裏返して嬉しそうに笑った。
「わぁ、おいしい」
 女の子が顔を上げると、顎から首までベタベタになっている。
「食べたらまた遊ぼ?」
「うーん、どうしようかなぁ」
 そう言いながら、悠人は口を尖らせてスイカの種をプププッと庭に飛ばした。女の子はそれを見て、わぁ、と楽しそうに真似をした。悠人の種のほうが遠くに飛ぶと、眉間に皺を寄せた彼女は今度は悠人に向けて種を飛ばし、悪戯っぽく笑った。

「なにか楽しいこと考えてるの? 思い出し笑い?」
 佐々木さんの声で、意識が引き戻された。
「さぁて、そろそろ帰ろうかな」
 佐々木さんは立ち上がり、皿を台所に運んで祖母と洗い物をしようとしたので、自分がやりますと声をかけると佐々木さんはにっこりとして皿もコップも悠人にあずけた。
 祖母が洗う食器を真っ白のふきんで拭き終わってから居間に戻り、紘果に岩手にいるよとメッセージをした。楽しい? と来た返信に、まぁまぁかなぁ、と返事をすると真顔のスタンプだけが送られてきて、続きは何もなかった。

 夜の九時頃、祖母はもう寝る様子だった。疲れたでしょう休んでねと促されるままに悠人は畳の部屋に入り、用意してくれていた布団に入る。
 襖には猿が描かれていてなんだか見られている気がして仰向けになった。チューリップを逆さにしたような照明の真ん中からは紐が垂れ下がっている。
 じっと天井を見ていると、不均等な木目の線が気になってくる。ジワジワと線が広がってゆく気がして、昔祖母の隣で寝ていた時に感じた不気味さが蘇ってきた。嫌な感じを振り払いたくて別のことを考えようとしているうちに、さっき頭によぎった女の子の姿が思い浮かんだ。髪型はおかっぱだったような、浴衣みたいな服を着ていたような、とぼんやりとした記憶を辿る。一緒に食べたスイカは美味しかったな、庭で線香花火もしたっけ、とだんだんと思い出が呼び起こされてきた。
 やはりこの時間には眠ることができず、布団から出て襖を開ける。隣も畳の部屋になっていて、その奥には西側の庭に出られるガラス戸があった。
 ゆっくりとガラス戸を開けてみると、青臭い夜の匂いがすっと入り込んできた。歪だが煌々とした月がいて、そこに群がるように星が散らばっていた。悠人は深呼吸をして、しばらく風に当たってみる。なんの明かりもなくて、びっくりするくらいに周囲が暗い。
 車の音も、人の声もなく、ただティロティロと虫の鳴き声が右からも左からも響いてくる。時間がゆっくり流れていて、明けない夜の中にいるような浮遊感がした。
 肌寒さを感じて、そろそろと布団まで戻る。
 顔回りが涼しくなり、さっきの風が肌に残っている感覚が気持ち良くて目を閉じる。だんだんと布団に体温が馴染んでいくのがわかる。
 意識が遠のいていくなかで、枕元でぼんやりとした気配を感じた。
「ひさしぶりだね」
 どこか懐かしさを感じる幼い声。
「眠れないんでしょ?」
「うん」
 悠人は不思議と怖さを感じなかった。
「さっき、子供の頃のことを思い出してたんだ。あの頃は、幸せだったんだなぁって」
「今は幸せじゃないの?」
 悠人は返事に迷う。
「うーん、どうなんだろう」
「うん」
「友達がさ、結婚するんだって」
「うん」
「すごく幸せそうだったんだ」
「うん」
「僕はなんだか最近うまくいってないような気がしてて……」
「うん」
「三年も付き合ってるのに、彼女が何考えてるのかいまだによくわからないし」
「うん」
「デートするときも、行きたいところとか時間も全部彼女に合わせてるのに、帰る頃にはなんかムスッとしてて」
「うん」
「僕はいつも彼女の言う通りにしてるんだよ?」
「うん」
「こんなんで大丈夫なのかなあ」
「うん」
「わからないよね」
「うん」
「この家は落ち着くんだね。ひさしぶりすぎたけど」
 女の子が静かに耳を傾けてくれるから、これまで胸に秘めていた数えきれない思いを吐き出した。

 目を覚ますともうお昼をまわっていた。
 すでに襖は開け放たれていて、奥の畳の部屋のガラス戸から太陽が伸びてこっちの部屋まで届きそうだ。ゆっくりと上体を起こすと、いつもよりも体が軽い。昨日の夕ご飯が体に良かったからか、久しぶりにぐっすりと眠れたからなのか……。
 あくびをしながら居間にむかうと、祖母が「いつもこんなに遅くまで寝てるの?」と笑っ
た。テーブルの上には朝食があって、悠人は納豆をかきまぜながら、祖母に昨日の夜の出来事を話した。
「あらぁ~、それは座敷童だねぇ」
 祖母が嬉しそうに言う。
「え? 座敷童?」
「あなたのお母さんもよく遊んでもらってたのよ」
「え? まじで? この家に座敷童いるの?」
「知らなかった? もうずっといるのに」
 幼い頃に祖母が話してくれた座敷童の昔話を思い出す。初めて聞いたあの頃はたしかすごく怖かった。その得体の知れない不気味さが無意識のうちに祖母の家のイメージと結びついて心の中にずっと残っていたから、足が遠のいていたのかもしれない。
 突然、子供が廊下を駆けまわる音が響き、驚いて祖母を見る。祖母は微笑ましそうに音を目で追っていた。
 急に幼い頃の恐怖が追り上がってくる。もし座敷童がこの家を出ていってしまったらどうしよう。祖母の視線の先をすがるように追う。
「そうそう、今日ねぇ、佐々木さんが車を出してくれるって言うの。せっかくだからみんなで帰る前にお出かけしない?」
 祖母がわくわくした表情で見るので、悠人は不安を打ち消すようにトマトを噛みながらうんうんと頷いた。

 佐々木さんは昨日と同様、元気に満ちた口調で、近くに住んでると観光地ってなかなか行かないのよねぇ、とハンドルを握った。隣に座る祖母を見ると、窓の外を見ながら、楽しみねぇ~、とにこにこしていた。
 連れられるままに辿り着いた場所は、伝承園というところだった。
 茅葺屋根の大きな納屋の入り口を通る。風を感じると、砂っぽい匂いがしたり新緑のような匂いがしたり、普段馴染みのない香りに鼻がくすぐったくなった。
 博物館みたいだ、と悠人が呟くと、佐々木さんが建物の解説を読みながら案内してくれる。昔使われていたトイレやお風呂を再現したところや、水車、井戸を見てまわった。ここでは、絵馬づくりも体験できるようだった。
 祖母が、悠人にぴったりのところがあるのよ、と楽しそうに言う。
 そこには曲り家という、まだ人が住んでいるのではないかと思わせる建物があった。
 中に入ると佐々木さんは早足で進んでいく。ついていくと、壁一面にカラフルな小さな布がぶら下がっていて、ヒッ、と声が出てしまった。怖さが勝ってしまいあまり佐々木さんの話が入ってこないが、オシラサマというものらしい。桑の木で彫った娘と馬の顔に、来た人々が願い事を書いた布を纏わせているという。それが約千体もあるようだ。
 こっちこっち、と祖母が悠人を呼び、座敷童がいる部屋があるのよと手招きした。
 ほらこっち見てごらんなさい、と祖母に手を引かれて歩いていく。
 暗がりのなかに平仮名で、おくざしき、と書かれている場所があった。祖母がにこりとして、行っておいでと指を差す。
 悠人は恐る恐る歩を進めた。
 小さな部屋の引き戸は開いていて、中に入ってゆくと、ぼうっと小さな影がオレンジの灯りに浮かんだ。
 ひょっ、と声を漏らしながらじりじりと近づいてみると、切り絵で作られたおかっぱ頭の子供が行灯の光に浮かんでいた。手をパーにしてなにか楽しいことを企んでいるような顔でこちらを見ている。
 びっくりしたぁ、と振り向くと祖母が子供のように笑っていた。それが座敷童よ、と佐々木さんも笑った。
 ただの展示じゃん~、と強がってみるも、心のなかでは、いつか座敷童がいなくなってしまったら祖母に、もしかしたら佐々木さんにも不幸なことが起こるんじゃ……という不安がまたわいてきてしまった。

 伝承園を出たあとは、佐々木さんが人気のジンギスカンのお店に連れていってくれた。
 「あっさり」と書かれたセットを頼むと、見るからに柔らかそうなラム肉が運ばれてきた。
 悠人が肉を焼こうとすると、佐々木さんと祖母がこうするといいのよと教えてくれる。キャベツ・玉ねぎ・もやし・人参を鉄板の真ん中を空けて焼き、肉を真ん中に置いていった。ラムの臭みがあまりなく、焼けるそばから口に運ぶことができた。
 店を出ると夕方に差し掛かっていて、昼食か夕食かわからなくなったね、と佐々木さんが微笑む。祖母は、美味しいものはいつ食べてもいいのよ、と笑った。
 お土産を買って帰ったら? と言ってくれた祖母に、悠人がどっちでもいいと答えると、佐々木さんが道の駅まで車を走らせてくれた。
 道の駅の売店では、カブやワサビ、どぶろく、ビールなどさまざまなものが売られていたが、悠人は手に取っては戻し手に取っては戻しを繰り返し、ぐるぐると店内を歩き回った。
「あらぁ、ここにもいた!」
 祖母のそばに行くと、手に座敷童のキーホルダーが握られていた。ぷにぷにとした素材で作られた人形で、赤い着物を羽織って黄色い帯が締められている。髪は黒色でおかっぱ、目がくりくりしている。祖母がお土産にと三つも買ってくれた。
「ひとつは悠人にね。もうひとつは悠人のお母さんに。あとひとつは、悠人が一緒にいて幸せを感じる人にあげなさい」
 祖母が悠人にレジ袋を渡した。
 一緒にいて幸せな人――少し考えて、紘果にメッセージを送った。お土産何がいい? と書いてみたが、既読にならなかった。
「また岩手に来てもいいのかな……」
「それは嬉しいねぇ」
 悠人の独り言にも祖母は笑みを浮かべていた。

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プロジェクト参加作家

  • 岩手県 柿沼雅美

    柿沼雅美(かきぬま・まさみ)

    1985年、東京都生まれ神奈川県育ち。
    清泉女子大学文学部日本語日本文学科卒業。大学職員勤務を経て作詞家に。
    JUJU、Snow Man、ジャニーズJr、ミュージカル刀剣乱舞、テニスの王子様Rising Beat、ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会、MORISAKI WIN、亜咲花、三澤紗千香、上月せれな、等の楽曲へ作詞で参加。

    「けっぱれ」

    久しぶりに岩手県で暮らす祖母のもとを訪れることになった悠人。到着したその日の夜、一人の少女と出会ったことで、懐かしい気持ちとともにある不安が湧いてくる。その不安は、祖母と別れるまで悠人を悩ませ続けるが……

  • 静岡県 乘金顕斗

    乘金顕斗(のりかね・けんと)

    小説家。1992年生まれ。兵庫県在住。2017年、公募から「たべるのがおそいvol.3(書肆侃侃房)」に『虫歯になった女』が掲載。2019年に短編集「対岸にいる男」(惑星と口笛ブックス)。2020年、「kaze no tanbun 移動図書館の子供たち(柏書房)」に掌編『ケンちゃん』。2021年、第7回ブックショートアワード大賞受賞。

    「海の見える街で私たち」

    環奈と美弥は、子供の頃から一緒に熱海の街を走って過ごしてきた。お互いを大切に思い合う二人はしかし、貫一お宮之像の前でそのポーズを真似して撮った写真をSNSに投稿したことで、大きくすれ違いはじめる。

  • 福岡県 菅原敏

    菅原敏(すがわら・びん)

    詩人。 2011年、アメリカの出版社PRE/POSTより詩集『裸でベランダ/ウサギと女たち』をリリース。 以降、執筆活動を軸にラジオでの朗読や歌詞提供、欧米やロシアでの海外公演など幅広く詩を表現。近著に『かのひと 超訳世界恋愛詩集』(東京新聞)、燃やすとレモンの香る詩集『果実は空に投げ たくさんの星をつくること』(mitosaya)、『季節を脱いで ふたりは潜る』(雷鳥社)。 東京藝術大学 非常勤講師
    http://sugawarabin.com/

    「琥珀色の瓶」

    幼い頃、両親と過ごした福岡市郊外に家を買った「私」は、亡くなった母が大切に育てていた梅の枝を携えて引っ越しをする。福岡、京都と行き来する梅の木とそれに重なる家族の思い出、そしてこれからの「私」の暮らし。