Project 3

日本各地のストーリー創作

海の見える街で私たち

 二人で貫一お宮の像の前で撮った写真に、思わぬ反響があった。いいねが沢山きて通知がやまなくて環奈は少し睡眠不足になった。簡単にいうと環奈たちの写真はSNSでバズったのだ。
 コメントの大半は美弥に向けられたものだった。モデルさんみたい。笑顔が可愛すぎる。とか色々書いてあった。話題になった写真について、同級生からも何度も声をかけられ、環奈は鼻高々だった。
「美弥もちゃんとアカウント更新したらすごいフォロワー増えるんじゃない?」
「そうかな」
「うん、絶対増えるよ」
 環奈に後押しされて積極的にSNSの更新をするようになると、環奈の予想通りあっという間にフォロワーが増えた。
 学校中の生徒が美弥をフォローしていたし、近隣の学生たちもみんなそうだった。熱海の街を歩いているだけで美弥は声をかけられた。
「なんかマジで美弥有名人じゃん」と環奈が言うと、「みんなちょっとおかしいって」と美弥は謙遜した。
 しかし初めは困惑気味だった美弥も、徐々に自分が注目されていることに慣れてくると、美弥と環奈で出かけているときにも写真を撮ってアップするようになった。いわゆるインスタ映えスポットにも沢山行った。アカオフォレストで海の絶景をバックに空飛ぶブランコに乗った。来宮神社の大楠の前で二人が並んで写真を撮った。二人の思い出をどんどんSNSに更新していく。まるで写真を上げれば上げるほど思い出が増えて二人の仲が良くなっていくみたいに、夢中になって写真を撮り続けた。環奈も美弥も、段々とお互いの顔を見合わせて話すのでなく、画面の中にいる自分達の姿に、携帯の中に並ぶコメントに、のめり込むようになっていった。

 美弥の人気がどんどん高まっていく中、ある日、自主練で街を走っていると二人の後ろについて走るスーツ姿の男が現れた。初め二人は自分達を追っていると思わなかったが、振り返ると必死の形相で走り、こちらに向かって何かを叫んでいるので、恐ろしくてスピードをあげて逃げると、男もより一層スピードを上げて追いかけてくる。「ちょっとまって! ちょっと!」と叫ぶ男にだんだん二人は恐怖を感じ「え、え、こわいこわい」とぐんぐんスピードを上げて逃げた。そのまま人だかりのある商店街の中へ逃げ込んだが、それでも男はついてくる。「え、何? 何?」とパニックになる二人へ、商店街にいた顔見知りの店員さんが「どうしたの?」と声をかけてくれた。
「変な人に追われてるんです!」
 と、叫ぶ二人にただならぬ気配を感じたのか、近くにいた大人たちも集まってきた。
「ちょっとあんた。何してんの」と居合わせた年配の男性や店員の女性たちが間に入り、怪しい男を囲んだ。「何してんのあんた、警察呼ぶよ」
 汗だくになった男は、息をぜえぜえして整えてから、
「いや、違うんですあの、ごめんなさいほんとに」と話し出した。
「何が違うの、高校生の女の子追いかけといて違うも何もないでしょ」
「はい、あの、本当ごめんなさい。どうしても、どうしても美弥さんにお話だけでも聞いて頂きたくて。すいません、私こういうものでして」
 と、男が胸ポケットの中から名刺を取り出して、間に入ってくれた男性に差し出した。名刺には、大手芸能事務所の社名が印刷されていた。環奈や美弥もテレビで見たことのある俳優さんや女優さんたちが沢山いる事務所だった。
「美弥さんがうちの事務所に入ってくれたら、絶対成功します。約束します」
 汗をダラダラ流しながら熱弁する男に、警戒はしながらも美弥は連絡先だけは受け取った。
 男がいなくなった後、少し浮き足だった環奈が、
「美弥、スカウトされちゃったじゃん」と声をかける。
「うん……」と神妙そうな顔で美弥が名刺をじっと見ている。
「美弥、興味あるの?」
「ううん、ちょっと驚いただけ」
「でも美弥なら本当に人気になっちゃうかもなあ」
「ないない、そんな勇気ないし」と首を振る美弥だったが、名刺からは目を離さなかった。

 美弥は両親も交えてスカウトをしてきた男の話を聞いた。男の名前は富永といって、美弥が事務所に所属したらマネージャーとして面倒を見ること、初めは通いながら東京で仕事をして、忙しくなってきたら東京の高校に編入してもよいのではないかという話も出た。両親は、初めは反対するようなことを言っていたが、思いのほか美弥が興味を持ち始めていることを感じとって、あとは美弥の気持ちを尊重すると言った。そしてやるからには全力で応援するよ、と言い添えた。これまで自分から何かを始めることがなかった美弥は、期待した。自分の人生が変わるかもしれない。
 迷った末に美弥は事務所に所属することにした。雑誌のモデルの仕事から始まり、演技のレッスンも行うようになった。事務所が管理する公式のSNSアカウントもできた。徐々に仕事が増えてきて部活も休みがちになり、環奈と行動を共にすることも減っていった。
 一方、環奈は以前と変わりなく陸上の練習をしていた。美弥のいない部活は、何だか活気がない。だけどそう思うのは、環奈が美弥のいない運動場に物足りなさを感じているだけかもしれなかった。
「美弥ちゃん今日も休み?」とチームメイトに聞かれて、
「うん、多分」と答える。周りから、美弥のことを何でも知っていると思われている。でも今は連絡を取ることも少なくなっていて、美弥がどこで何をしているかは分からなかった。
「美弥ちゃんすっかり芸能人だね」と言われ、芸能人か、と頭の中で反芻する。環奈は何だか美弥が遠い存在になってしまったように感じる。

 ここ数日、学校を休んでいた美弥は、仕事で東京に滞在していたようだった。どうして自分に言わなかったのか、と環奈は思ったが、しばらく連絡すら取っていなかったから仕方がないのかもしれないと思った。今日は夏休み前の最後の学校だった。
 久しぶりに二人で一緒に電車に乗って帰った。環奈も美弥も、お互い何を話せば良いのか分からなくなっていた。一緒にいない時間が増えた分、話すことなんて山ほどあるはずなのに出てこない。
「元気だった?」と美弥に聞かれ、
「あ、うん。元気元気」と、ぎこちなく返す。元気だった? というコミュニケーションに距離の遠さを感じる。
「美弥は?」
「え?」
「その、元気。だった?」
 自分で口にしながら、やはり環奈は違和感を覚えてしまう。
「元気だよ、うん。正直、今まで体験したことない出来事ばかりで、ちょっと疲れたけど。楽しいかも」
「そう……」と言ってから、環奈はまた黙ってしまった。特別難しい話をしているわけでもないのに、どう返答したらいいのか分からない。
「サンビーチの方、行かない?」と、美弥が提案した。
「え、うん」
「ちょっと海が見たくなって」

 海岸沿いまで来て、二人は親水公園を歩いていた。背の高いヤシの木が歩道脇に並ぶ。海に目をやると、ちょうど夕焼けでオレンジに染まった空と、まん丸の夕日が水平線の先に見える。
「私、東京の学校に通うことにした」と打ち明けた時、美弥は環奈の顔を見なかった。見られなかったのかもしれなかった。もっと本格的に仕事ができるようにと、事務所に勧められたのだ。家族も揃って引っ越し、美弥をサポートするのだと言う。
 二人は言葉が継げずにいた。お互いの顔を見られないまま、ゆっくりと歩いていた。そうか、美弥はいなくなってしまう。もちろん、別に会えない距離じゃない。熱海と東京なんて電車で行けばすぐだった。だけど、と環奈は思ってしまう。そんな空気を感じとったのか、美弥が「会えなくなるわけじゃないから、電車ですぐ帰って来れるし」と付け加えた。でも多分、距離だけの話じゃないのだ。環奈が感じているのは。美弥の言葉がなんだか白々しく思えて、
「どうせ会わなくなるよ」と、気づいたら言葉がついて出た。
「え?」と目を丸くして驚く美弥。二人は立ち止まって、向かい合う。ちょうど二人の写真がバズった時の、貫一お宮之像の前だった。
「今だって、美弥が事務所入ってからは全然会ってないし」
 悲しそうな表情になる美弥が目に入ったが、環奈は引っ込みがつかなくなる。
「別にいいじゃん。美弥は私と一緒にいるような人じゃなかったんだよ」
「インスタだって、私と写ってた写真全部消してたじゃん」
 違う、こんなことが言いたいんじゃないのに。
「それは、住んでいる場所とか高校が特定されるような写真はやめるように言われてて」と、一層悲しそうな顔をする美弥を見て、環奈は苦しくなる。
「だろうね、そういうこともあるよね。芸能人だから」
「やめてよ、芸能人って言うの」
「だってそうじゃん。美弥と私は違うでしょ。二人で撮った写真、コメント欄で何て書かれてたか知ってる?」
「それは……」
「比較されるのがかわいそうとか、釣り合ってないとか、色々書かれてた」
「あんなの気にしなくていいよ」
「でも知ってたくせに。コメント消したの美弥じゃん。どうもありがとね、私が傷つかないようにしてくれて」
「ねえ、お願いだからそんなこと言わないで」
「内心、馬鹿にしてたんだよ。私のこと」
「してない。環奈、本気でそう思ってるの?」
「思ってるよ。私も美弥のこと、調子乗ってるなーって思って見てたし」
「ひど、自分だって散々人のこと使ってSNSでいいね稼いで、楽しんでたくせに。こっちが真剣になったら馬鹿にするんだ」
 美弥の言葉に、痛いところを突かれたようで、一瞬言葉に詰まる。
「だって面白いじゃん、友達が芸能人気取りになってたら」声が震えた。
「最低だね。環奈がそんな人だと思わなかった」涙声になる美弥に、顔を合わせられない。逃げたくなって環奈がその場から立ち去ろうとすると、腕を掴まれた。
「謝って」
 目に涙を浮かべ、ぎゅっと腕を握る美弥の爪が意図せず肌に食い込み、「痛っ……」と声が出て、環奈は思わず美弥を突き飛ばした。尻餅ついた美弥は、何が起きたのか分からないみたいに口を開けて啞然としていた。「あ、ごめ……」と一瞬手を差し伸ばそうとした環奈だったが、すぐに手を引っ込めてその場から走り去った。一回だけ振り向くと、美弥が泣きながら追いかけてくるのが見えた。
 環奈は美弥に酷いことをした自分が怖くて、さらにスピードを上げて走って逃げた。

 次の日から、学校は夏休みだった。環奈は家に引きこもって部活を休むことにした。夏休みが明けたときには、もう美弥は東京の高校に転校している。今年が美弥と過ごせる最後の夏休みだったのに、とてもじゃないけど美弥とはもう会うことはできない。酷いことを言ってしまって、合わす顔がなかった。
「部活、休んでるのか」
 家に引きこもって休んでいる環奈を心配して、父が声をかけた。
「うん」
「風邪?」
「ううん、行きたくないだけ」
「そう。うん、まあゆっくり休んで」
「うん」
 寡黙な父だ。環奈も自分から父に進んで話をすることは少なかった。決して仲が悪いわけではない。むしろ父とはほとんど言い争いのようなことをしたことがない。父が優しいのか、物分かりの良い娘なのか、分からない。ただお互いにお互いを必要以上に傷つけたくないと思うあまり、自然と踏み込んだ話をするのを避けるようになった。父は環奈のすることに文句を言うことは一切なかった。もちろん環奈が不真面目なわけではないから、ある程度信頼してのことだと思うが、父親一人、娘を育てる難しさもあるのだろう、と環奈は思っている。
「ああそうだ。明後日のお母さんの命日、行けそうか?」と父に言われ、
「うん大丈夫、行く」と環奈は返事をした。

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プロジェクト参加作家

  • 岩手県 柿沼雅美

    柿沼雅美(かきぬま・まさみ)

    1985年、東京都生まれ神奈川県育ち。
    清泉女子大学文学部日本語日本文学科卒業。大学職員勤務を経て作詞家に。
    JUJU、Snow Man、ジャニーズJr、ミュージカル刀剣乱舞、テニスの王子様Rising Beat、ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会、MORISAKI WIN、亜咲花、三澤紗千香、上月せれな、等の楽曲へ作詞で参加。

    「けっぱれ」

    久しぶりに岩手県で暮らす祖母のもとを訪れることになった悠人。到着したその日の夜、一人の少女と出会ったことで、懐かしい気持ちとともにある不安が湧いてくる。その不安は、祖母と別れるまで悠人を悩ませ続けるが……

  • 静岡県 乘金顕斗

    乘金顕斗(のりかね・けんと)

    小説家。1992年生まれ。兵庫県在住。2017年、公募から「たべるのがおそいvol.3(書肆侃侃房)」に『虫歯になった女』が掲載。2019年に短編集「対岸にいる男」(惑星と口笛ブックス)。2020年、「kaze no tanbun 移動図書館の子供たち(柏書房)」に掌編『ケンちゃん』。2021年、第7回ブックショートアワード大賞受賞。

    「海の見える街で私たち」

    環奈と美弥は、子供の頃から一緒に熱海の街を走って過ごしてきた。お互いを大切に思い合う二人はしかし、貫一お宮之像の前でそのポーズを真似して撮った写真をSNSに投稿したことで、大きくすれ違いはじめる。

  • 福岡県 菅原敏

    菅原敏(すがわら・びん)

    詩人。 2011年、アメリカの出版社PRE/POSTより詩集『裸でベランダ/ウサギと女たち』をリリース。 以降、執筆活動を軸にラジオでの朗読や歌詞提供、欧米やロシアでの海外公演など幅広く詩を表現。近著に『かのひと 超訳世界恋愛詩集』(東京新聞)、燃やすとレモンの香る詩集『果実は空に投げ たくさんの星をつくること』(mitosaya)、『季節を脱いで ふたりは潜る』(雷鳥社)。 東京藝術大学 非常勤講師
    http://sugawarabin.com/

    「琥珀色の瓶」

    幼い頃、両親と過ごした福岡市郊外に家を買った「私」は、亡くなった母が大切に育てていた梅の枝を携えて引っ越しをする。福岡、京都と行き来する梅の木とそれに重なる家族の思い出、そしてこれからの「私」の暮らし。